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基本情報
- 名称
- 廣嚴寺
- 読み方
- こうごんじ
- 別称
- 楠寺
- 所在地
- 〒650-0017
兵庫県神戸市中央区楠町7-3-2
- 参拝時間
- 9:00〜17:00
- 参拝所要時間
- 参拝料
- 御朱印
- あり
- 御朱印帳
- 電話番号
078-341-1304
- FAX
- 078-341-1764
- アクセス
- 神戸市営地下鉄大倉山駅下車徒歩3分
- SNS
詳細情報
- 御本尊
- 大醫王 藥師瑠璃光如來
- 山号
- 醫王山
- 宗旨・宗派
- 臨済宗南禅寺派
- 創建時代
- 元徳元年(1329)
- 寺格
- 開山・開基
-
開山明極楚俊禅師
開基後醍醐天皇
- 札所など
- 福原西国観音霊場第21番札所
- 文化財
- ご由緒
-
後醍醐天皇の勅願により元徳元年(1329年)明極楚俊禅師の勧請開山として創建、医王山広厳宝積禅寺の山号・寺号を賜ったという。寺伝によれば当時は七堂伽藍完備して子坊13、寺城は4000平米におよんだという。
建武3年(1336年)5月、楠木正成が当寺に参り、明極禅師と問答して大いに悟って湊川の戦いに臨んだと『明極和尚行状録』(偽書説あり。後述の『大清和尚語録』と合わない。)に記されている。一方で『大清和尚語録』には、当寺は楠木正成戦死の翌年に赤松範資が建立し、その子光範が落成したとある。
延宝年間に千巌宗般(せんがん — )が荒廃していたこの寺を再興。千巌は楠木正成を崇拝し、徳川光圀が楠公の建碑の志あるを知り、請願してこれを完成させた。 「楠公の一族十三人、士卒六十余人、この寺に入りて、建武三年五月二十五日戦死す。禅師(明極)すなはち遺骸を路傍に葬むる。今の墓碑の地なり。」と『摂津名所図会』にみえる。
光圀の「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑は、湊川神社が最終的には1869年(明治2年)に墓所と殉節地の両所を必ず含めるものとして境内は確定されたため(湊川神社#社地と造営より)、湊川神社創建当時から同神社境内にある。なお、戦災と震災で大きな被害を受けている。
現在の本堂は2015年に完成した近代的なビルで、本堂のホールは音楽ライブショーなどにも使える多目的ホール「神戸ラピスホール」としても使用できる。 出典・引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%8E%B3%E5%AF%BA wikipedia
- ご利益
- 体験