基本情報
- 名称
- 海南神社
- 読み方
- かいなんじんじゃ
- 別称
- 所在地
- 〒238-0243
神奈川県三浦市三崎4-12-11
- 参拝時間
- 24時間
- 参拝所要時間
- 40分
- 参拝料
- 無料
- 御朱印
- あり
- 御朱印帳
- あり
- 電話番号
- 046-881-3038
- FAX
- 046-881-2314
- アクセス
- 京浜急行電鉄久里浜線「三崎口」駅より徒歩約63分
- SNS
詳細情報
- 主祭神
-
・藤原資盈
・盈渡姫
・筌龍弁財天(三浦七福神)
・地主大神
- 祭神
-
・藤原資盈(ふじわらすけみつ)
・藤原盈渡姫(ふじわらみつわたりひめ)
・地主大神(じぬしおおかみ)
・素戔嗚尊(すさのお)
・天日鷲神(あめのひわしのかみ)
・菅原道真(すがわらのみちざね)
・筌龍弁財天(せんりゅうべんざいてん)
- 御神体
- 社格
- 郷社
- 創建時代
- 天元5年(982年)
- 本殿の様式
- 神明造
- 札所など
- 文化財
- ご由緒
-
かつて、藤原資盈公(天児屋根命の末裔でもある)は、第56代清和天皇の御代に、時の皇位継承争いに巻き込まれ、伴大納言善男の謀挙に荷担しなかったことから、冤罪を受け、筑紫の配所に流されることになってという。しかし、その航海中、暴風に遭遇して、貞観6年(864年)11月1日に、父子3人、郎党53人は、当地に着岸したという その後、資盈公は土地の長に推戴され、房総の海賊を平定し、郷民を教化して特に漁業の知を開き、文化の礎を築くなど福祉に尽力されたため、郷民からの信頼も大変高かったという。そして、貞観8年(866年)に、資盈公が亡くなると、その亡骸を海に沈め、花暮海岸に祠を建てて祀ったといい、これが当社の大元となっている。その後、花暮の祠を本宮として、天元5年(982年)に現在地に社殿を造営した。その後、承応2年(1653年)3月に、正一位(吉田家神道の宗源宣旨)に進められ、享保4年(1719年)三浦半島の総鎮守となる。明治6年、郷社に列し、明治40年には、神饌幣帛料共進神社に指定された。
参考サイト:http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=6409
- ご利益
- # 家庭円満 # ⼦宝成就
- 体験