基本情報
- 名称
- 神田神社
- 読み方
- かんだじんじゃ
- 別称
- 所在地
- 〒101-0021
東京都千代田区外神田2-16-2
- 参拝時間
- 24時間
- 参拝所要時間
- 20分
- 参拝料
- 大人300円
- 御朱印
- あり
- 御朱印帳
- あり
- 電話番号
- 03-3254-0753
- FAX
- 03-3255-8875
- アクセス
- ・地下鉄銀座線「末広町」駅より徒歩約7分
・JR中央/総武線「御茶ノ水」駅より徒歩約7分
・JR山手/中央/京浜東北線「秋葉原」駅より徒歩約12分
- SNS
詳細情報
- 主祭神
-
・大己貴命
・少彦名命
・平将門命[1]
- 祭神
- 御神体
- 社格
-
・旧准勅祭社
・旧府社
・別表神社
- 創建時代
- 伝天平2年(730年)
- 本殿の様式
- 入母屋造本瓦型銅板葺
- 札所など
- 東京十社
- 文化財
- 国の登録有形文化財
- ご由緒
-
天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのに始まる。神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した。承平5年(935年)には敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られたが(将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬は受けていた)、嘉元年間(1303年 - 1306年)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとされたことから、供養が行われ、延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされた。その後、江戸時代になると、徳川秀忠によって、江戸城増築に伴い現在地に遷座、江戸城の鬼門除け、江戸総鎮守として尊崇された。更には、江戸初期に豪華な桃山風社殿が造営されたが、1923年の関東大震災で焼失してしまう。その後、再建され、1945年の東京大空襲にあうも、本殿・拝殿などは焼失を免れている。明治元年には、准勅祭社に指定され、翌年には、常陸国大洗磯前神社より少彦名命を勧請し三柱となる。しかし、明治7年、明治天皇が行幸するにあたって、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、一時、平将門は祭神から外され、代わりに少彦名命が大洗磯前神社から勧請されたが(平将門神霊は境内摂社に遷された)、戦後昭和59年(1984年)になって本社祭神に復帰し、現在の形となった。
参考サイト:http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=%2076
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