安楽寺

あんらくじ
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〒 606-8422
京都府 京都市 左京区鹿ケ谷御所ノ段町21
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通常非公開 特別公開期間 10:00~16:00

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    マーク基本情報

    名称
    安楽寺
    読み方
    あんらくじ
    別称
    松虫鈴虫寺
    所在地
    〒606-8422
    京都府京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町21
    参拝時間
    通常非公開 特別公開期間 10:00~16:00


    参拝所要時間
    約30分
    参拝料
    500円(中学生以下無料)
    御朱印
    あり
    御朱印帳
    あり
    電話番号
    マーク075-771-5360
    FAX
    075-771-5360
    ホームページ
    http://anrakuji-kyoto.com/
    アクセス
    市バス「真如堂前」下車徒歩約10分
    SNS

    マーク詳細情報

    御本尊
    阿弥陀五尊像
    山号
    住蓮山
    宗旨・宗派
    単立
    創建時代
    不詳 / 鎌倉時代初期
    寺格
    開山・開基
    住蓮上人・安楽上人
    札所など
    文化財
    ご由緒
    住蓮山安楽寺は、京都左京区鹿ヶ谷にあります。法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人を開基とします。この開山両上人が、現在地より東1キロメートルあたりに「鹿ヶ谷草庵」を結び、布教活動の拠点を持たれたのがこの寺のはじまりです。
    山門前の石柱には、「浄土礼讃根元地」と刻まれています。開山両上人は、唐の善導大師(ぜんどうだいし)の『往生礼讃』に大原魚山(天台宗)の礼讃声明(らうさんしょうみょう)を転用して浄土礼讃を完成されました。両上人が称える礼讃は誠にすばらしく、両上人の前で出家を希望する人もありました。
    その中に、後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫がおられました。両姫は、法然上人や開山両上人から念仏の教えを拝聴し感銘され、いつしか仏門に入りたいと願うようになりました。建永元年(1206)12月、両姫は後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中、夜中秘かに京都小御所を忍び出て「鹿ヶ谷草庵」を訪ね剃髪、出家を乞います。最初、両上人は出家を認めませんでしたが、両姫のお詠に感銘されます。
    「哀れ憂き この世の中にすたり身と 知りつつ捨つる 人ぞつれなき」
    19歳の松虫姫は、住蓮上人から剃髪を受け「妙智法尼」と法名を授かります。また17歳の鈴虫姫は、安楽上人から剃髪を受け「妙貞法尼」と法名を授かります。
    この事を知った上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶に弾圧を企てます。翌建永2年2月9日、住蓮上人は近江国馬淵(まぶち)(現在の滋賀県近江八幡市)で、同日安楽上人は京都六条河原(東本願寺近く)で斬首されました。この迫害はこれに止まらず、法然上人を讃岐国(香川県高松市)に流罪、親鸞聖人を越後国(新潟県上越市)に流罪に処します。いわゆる建永(承元)の法難です。
    その後、両姫は瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明防で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で往生を遂げたと伝えられています。
    また、両上人の亡き後、「鹿ヶ谷草庵」は荒廃しましたが、流罪地から帰京された法然上人が両上人の菩堤を弔うために草庵を復興するように命ぜられ「住蓮山安楽寺」と名付けられました。その後、天文年間(1532〜55)に現在地に本堂が再建され、今日にいたっています。
    出典・引用 安楽寺ホームページ
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