永福寺

えいふくじ
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〒 874-0044
大分県 別府市 風呂本1
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    マーク基本情報

    名称
    永福寺
    読み方
    えいふくじ
    別称
    所在地
    〒874-0044
    大分県別府市風呂本1
    参拝時間



    参拝所要時間
    参拝料
    無料
    御朱印
    あり
    御朱印帳
    電話番号
    マーク0977-66-5175
    FAX
    ホームページ
    アクセス
    JR九州日豊本線別府駅よりバスで約20分、鉄輪バス停留所で下車徒歩約5分。
    JR九州日豊本線別府大学駅または別府国際観光港よりタクシーで約10分。
    SNS

    マーク詳細情報

    御本尊
    阿弥陀如来立像
    山号
    温泉山
    宗旨・宗派
    時宗
    創建時代
    寺格
    末寺
    開山・開基
    一遍智真
    札所など
    文化財
    遊行上人縁起絵(重要文化財)
    ご由緒
    時宗の開祖一遍は、建治2年(1296年)頃に豊後国を訪れ、鉄輪の地獄を鎮めて湯治場を開いたと伝えられている。明治初期の『温泉山松寿庵由緒書』等によれば、この湯治場に大友頼泰が一宇を寄進し、一遍が自らの幼名松寿丸に因んで松寿寺(松寿庵)と名付けたのが当寺の起源とされる。

    その後、数度の廃絶を経て、江戸時代の延享年間に時宗の遊行上人が松寿寺を再興したとされ、延享5年(1748年)に時宗総本山の清浄光寺から山号・寺号が許されて時宗末寺となり、宝暦8年(1758年)には清浄光寺から淳盈が住職として派遣されて以後12代続いたが、明治4年(1871年)に無住となった。また、かつては松寿寺に隣接して境内社の温泉神社があったが、明治3年(1870年)の神仏分離令により鉄輪温泉西方の丘の上に遷座した。

    鉄輪温泉の蒸し湯と滝湯は、江戸時代前半にはその存在が知られていた。滝湯は松寿寺(松寿庵)の境内であった渋の湯にあり、湯滝山という山号はこの滝湯に由来すると考えられている[2]。また、江戸時代には松寿寺(松寿庵)存続のために、蒸し湯の入湯料を値上げして一部を寺の灯明料としたとされるなど、松寿寺(松寿庵)は古くから鉄輪温泉との関わりが深かった。

    現在の寺院は、明治24年(1891年)に広島県尾道にあった永福寺の寺号を借り受け、松寿寺跡に再興されたものである。大分県にある次週寺院は当寺のみであれたものである。大分県にある次週寺院は当寺のみである。
    出典・引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%A6%8F%E5%AF%BA_(%E5%88%A5%E5%BA%9C%E5%B8%82) wikipedia
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