お知らせ
NEWS
どうしても「サムハラ神社」でご祈祷を受けたくて、何度も予定を調整して受けてきました。
そしたら...続きを読む
平素よりご利用いただき誠にありがとうございます。
この度、自社ウェブサイトをより快適にご利用い...続きを読む
こんにちは!本日も『巡縁』へのお立ち寄りくださりありがとうございます。
金...続きを読む
伊勢神宮で普通に参拝するよりも、
「びっくりするほど浄化されちゃう参拝」ができるってご存知です...続きを読む
基本情報
- 名称
- 浄土寺
- 読み方
- じょうどじ
- 別称
- 所在地
- 〒675-1317
兵庫県小野市浄谷町2094
- 参拝時間
- 9:00〜12:00 / 13:00~17:00 (10月〜3月は16:00)
- 参拝所要時間
- 参拝料
- 500円
- 御朱印
- あり
- 御朱印帳
- なし
- FAX
- アクセス
- 神戸電鉄 小野駅より小野市営コミュニティバス「らんらんバス」の「北回り循環ルート(反時計回り)」で31分、「中谷ルート(うぐいす台行き)」で15分、「浄土寺」下車すぐ。または、「万勝寺ルート(下東条小学校行き)」で24分、「新開地(共進牧場)」下車、徒歩数分。※本数が非常に少ないので注意されたい
詳細情報
- 御本尊
- 薬師堂(本堂):薬師如来/阿弥陀堂(浄土堂):弥陀三尊
- 山号
- 極楽山
- 宗旨・宗派
- 高野山真言宗
- 創建時代
- 建久5年(1194)
- 寺格
- 開山・開基
- 重源上人
- 札所など
- 新西国三十三箇所客番札所
- 文化財
- 浄土堂、阿弥陀如来及び両脇侍像立像(国宝)
- ご由緒
-
この地から西に約2キロのところに、奈良時代の僧・行基が建立したとされる広渡寺があった。この広渡寺が浄土寺の前身寺院とされる。荒廃していた広渡寺を浄土寺として復興させた実質的な開山は、平安時代末から鎌倉時代の僧で、東大寺大仏・大仏殿の復興に尽力した重源である。治承4年(1180年)、平重衡の軍勢による南都焼討で、東大寺や興福寺は壊滅的な打撃を受け、東大寺の大仏殿も焼け落ちた。この大仏・大仏殿の再興の大勧進(総責任者)となったのが、当時61歳の重源であった。重源は大仏再興事業の拠点として、伊賀国(現・三重県)、周防国(現・山口県)など日本の7か所に東大寺の「別所」を創設した。七別所のうちの「播磨別所」がこの浄土寺である。この地は播磨国大部荘(おおべのしょう)といい、東大寺領であった。
こうして建久5年(1194年)に広渡寺を現在地に移転して寺名を浄土寺へ改めた。建久8年(1197年)に本堂の薬師堂と浄土堂が大仏様で建立された[1][2]。
その配置は池を中心にして、西に浄土堂(阿弥陀堂)、東に薬師堂(本堂)が建つ。この配置は東方浄瑠璃世界の教主・薬師如来と西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来の居所を意味するものである。
薬師堂は明応7年(1498年)に焼失するが、永正14年(1517年)に再建されている。 出典・引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AF%BA_(%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%B8%82) wikipedia
- ご利益
- 体験
- 除夜の鐘