鶴岡八幡宮とは?歴史・ご利益・見どころを徹底ガイド【鎌倉観光・初詣におすすめ】!
2025.12.04
いよいよ、今年も残すところあと少しとなりました。
初詣にぜひ訪れたい、全国の人気ランキング。今回はその第七位の鶴岡八幡宮のご紹介です。
朱色の社殿、凛とした空気、池に浮かぶ蓮の葉。
鶴岡八幡宮は、どの季節に訪れても写真では伝えきれない“深い美しさ”があります。
歩くほどに新しい景色が現れ、立ち止まるほどにあちらこちらから物語が聞こえてきます。
そんな神社に、今年こそ訪れてみませんか?
鶴岡八幡宮とは?|鎌倉の総鎮守としての歴史と概要
創建と歴史
鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市にある関東随一の名社であり、鎌倉の総鎮守として知られています。鎌倉幕府を開いた源頼朝が深く関わったことで、武家文化の象徴ともなりました。
創建は1063年(康平6年)。
源頼朝の祖先源頼義が奥州での戦勝を祝い、京都・石清水八幡宮を厚く信仰していたことから、その分霊を源氏の氏神として八幡神を鎌倉の由比ヶ浜辺に祀りました。その後1180年(治承4年)に源頼朝が鎌倉入りし、現在の地・雪ノ下へ社を移しました。
頼朝は新たな政権の守護神として八幡神を崇敬し、この頃から幕府の重要祭事として、放生会や流鏑馬、相撲、舞楽など、今もなお執り行われている祭事を境内で開催してきました。
以来、鶴岡八幡宮は鎌倉幕府の精神的支柱となり、武士たちの信仰の拠点として栄え、鎌倉幕府滅亡後も衰えることなく、室町・江戸時代には徳川家などの将軍家からも厚く保護されました。
江戸時代には「関東第一の大社」と称されるほどの格式を誇り、明治の神仏分離以降は純粋な神社として再興し、現在も鎌倉を象徴する存在となっています。
鶴岡八幡宮のご祭神とご利益
主祭神は応神天皇(おうじんてんのう)・神功皇后(じんぐうこうごう)・比売神(ひめかみ)の三柱で、これらを総称して「八幡大神」と呼びます。
「応神天皇」は武運長久や国家鎮護の神として古くから崇められ、源氏・平氏など武家の守護神として篤く信仰されました。そのため、鶴岡八幡宮は「勝負運」「出世」「開運」のご利益で知られています。
「神功皇后」は知恵と勇気の象徴、「比売神」は和や繁栄の神とされ、三柱がそろうことで「強さと調和をもたらす神社」として多くの人々の信仰を集めています。
【見どころ完全マップ】境内の主要スポットと歩き方
段葛(だんかずら)/ 桜の名所として有名

鎌倉駅に到着。鎌倉駅を東口から出て少し歩くと、まっすぐ延びる「段葛(だんかずら)」にぶつかります。 ここは、源頼朝が妻・北条政子の安産(長男頼家)を祈願して築いたと伝わる参道です。全長約500メートル。周囲から一段高くなった歩道は、鶴岡八幡宮に向かってだんだんと狭くなる独特の設計になっています。これは、遠近法の効果で道がより長く見えるように工夫されているからだそうです。
両側には桜並木が続き、春には美しい桜のトンネルとなる、鎌倉を代表する景観のひとつです。初夏には両サイドにつつじが咲き誇り、自然の流れとともに参道を楽しめます。
太鼓橋 / 急角度の珍しい神橋

参道を進んでいくと、橋長約10mの「太鼓橋」 が現れます。かつては朱塗りの木橋であったため赤橋とも呼ばれていましたが、関東大震災による全壊を経て現在では石造りになっています。
この橋の勾配はおよそ30度。そのため簡単に渡ることはできません。かつては自由に行き来できたそうですが、現在は柵が設けられており通行することはできなくなっています。
源平地 / “三=源氏繁栄”の象徴的な池

急勾配の太鼓橋を挟んで分かれた先に目にすることができる、大きな池。そのうち、東側の「源氏池」は島が三つ、西側の「平家池」には島が四つあります。源平合戦真っ只中で作られたこの島。「三」は”産”とかけて源氏の繁栄を、「四」には”死”とかけて平家の衰退を願って作られたと伝わっています。
ここでも、春は桜。そして夏には蓮の花が水面を彩ります。
舞殿 / 静御前ゆかりの舞台

さらに進み、境内中央にあるのが 「舞殿(まいでん)」です。もとは拝殿として建てられた建物で、現在は神前結婚式や奉納舞、伝統行事の舞台として使用されています。
静御前(しずかごぜん)が義経を慕い、心をこめて舞った若宮廻廊跡に建ち、二人の悲恋を象徴する伝承の地としても知られ、現在に至っても優雅な雰囲気は健在です。
大石段を上った先にある本宮に対して、本宮の手前にあることから「下拝殿」とも呼ばれます。階段を上るのが難しい参拝者も、ここから本宮に参拝することができます。
大石段 / 暗殺の歴史スポット

舞殿からさらに参道を進んだ先にあるのが「大石段」です。登り切った先には本宮がありますが、この大石段にも一つの歴史があります。源頼朝の次男で鎌倉幕府の三代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)がこの石段を降りている最中に暗殺されたとされています。
悲劇の舞台となったこの石段からは、振り返ると鎌倉が一望できるビュースポットとなっています。
また、かつてはこの石段脇に樹齢千年と伝わる「大銀杏」が立っていましたが、2010年に強風により倒伏。しかし、根元から新芽が芽吹き「再生の象徴」とされています。
本宮(上宮)/ 重要文化財の荘厳な社殿
61段の大石段を上った先には「本宮(上宮)」 がそびえたちます。
朱と白を基調とした壮麗な社殿で、応神天皇・神功皇后・比売神の三柱をお祀りする、鶴岡八幡宮の中心となる御社殿です。
若宮(下宮)とともに、国の重要文化財に指定されています。
その他境内
境内にはこれらの他に、赤い鳥居が続き古い歴史のある「丸山稲荷社(まるやまいなりしゃ)」や、頼朝や実朝を祀る「白旗神社」があり、厄除け・学業成就などを願う小さな末社も点在しているので、時間をかけてゆっくり巡るのがおすすめです。
四季折々の自然も美しく、春の桜・夏の蓮・秋の紅葉・冬の静寂と、訪れるたびに異なる表情を見せてくれます。
すべてを紹介するのは、非常に困難なほどに見どころ満載の鶴岡八幡宮。ここからさらに宝物殿や、ミュージアムなども点在しています。
半日回っても飽きないくらいの大きな、歴史のある神社です。
午年との縁|八幡神と馬の深い関係
さらに2025年は午年ということもあるのでこちらも注目です。
鶴岡八幡宮は「武士の神社」として知られますが、そこには馬とともに生きた武家文化も同時に存在します。すなわち、十二支の中でも「午(うま)」と非常に縁の深い存在と言えます。
八幡神(応神天皇)は古くから「武運の神」「弓馬の守護神」として崇敬されており、戦での勝利を祈る武士にとって欠かせない存在でした。武士にとって馬は「命を預ける戦友」であり、八幡信仰は「弓矢と馬術」を重んじる文化とともに広まりました。
流鏑馬神事

鶴岡八幡宮の流鏑馬は、源頼朝公が天下泰平・国家安穏を祈願し、鎌倉時代に催されたのが始まりとされています。
年に1度の一大行事で、多くの人々の前で御家人たちが御神前で弓馬の技を披露する晴れの舞台でした。今でも毎年9月の例大祭の神事として続いており、鎌倉武士さながら狩装束に身を包んだ射手が、馬で駆けながら馬場に配された3つの的を射抜く勇壮な神事が執り行われています。
鶴岡八幡宮と武家文化|雅楽・舞楽・薪能・流鏑馬
鶴岡八幡宮は、源頼朝が鎌倉幕府の精神的支柱として整えた神社であると同時に、日本の中世文化・芸術の発信地でもありました。平安貴族中心だった文化を、武家が自らの美意識で発展させた「鎌倉文化」は、この神社を中心に形成されたといっても過言ではありません。
まず注目すべきは、神前で行われる「雅楽(ががく)」や「舞楽」の伝統です。八幡宮では平安時代の宮廷文化を継承する儀礼音楽が絶えず奉納され、現在も「例大祭」や「流鏑馬神事」の際に生演奏が行われています。笙(しょう)や篳篥(ひちりき)の音が朱殿に響く様子は、鎌倉時代から変わらぬ優雅さを今に伝えています。
また、鎌倉時代には和歌や書、仏画、建築美術も発展しました。頼朝は朝廷文化を敬いながらも、質実で力強い様式を好みました。八幡宮の社殿様式「八幡造」や朱塗りの建築美、そして本宮から鎌倉の街並みを見下ろす構図には、武家の美学と秩序感が体現されています。

さらに、現代の八幡宮は伝統を継承しつつ新しい文化発信の場にもなっています。春と秋に開催される薪能(たきぎのう)は、境内を幻想的に照らす炎の中で上演され、国内外から多くの観客を魅了します。鎌倉芸術祭や奉納コンサートなども行われ、古典芸能から現代音楽まで、多様な文化が共存しています。
単なる宗教的な存在を超えて「祈りと文化・芸術が共鳴する空間」として長く人々に感動を与え続けており、武家から始まった鎌倉文化は、今もなお鎌倉の中心としてその存在感を示し続けています。
まとめ|鶴岡八幡宮は“歴史×ご利益×景観”の三拍子が揃う神社
初詣の時によく話題になる、なんとなく見ていた鶴岡八幡宮。そのほんの一部にすぎませんが、ご紹介させていただきました。
歴史とともに見れば、もっと神社は楽しくなります。武士の時代から800年以上繋いできた伝統や文化は、ここで見ることができます。
次に行ってみる時は、ぜひいろんな場所のその歴史に、そして当時の環境に思いを馳せながら楽しんでみてはいかがでしょうか。

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