りてん先生の山伏問答 〜 ③ 修験道の肝心なところ〜

りてん先生の山伏問答 〜 ③ 修験道の肝心なところ〜

2026.03.14

修験道初心者の巡縁ちゃんと、修験道の第一人者・りてん先生の山伏問答

前回は、「日常生活でも山修行ができる」というお話をしてくれたりてん先生。
第3回は、「修験道の肝心なお話し」について、さらに詳しく教えてくれました。

 

 

修験道の“肝心なところ”?

 

巡縁ちゃん:
りてん先生、修験道の“肝心なところ”って、どんなことなんでしょうか。

 

りてん先生:
一言で言えば、“自らの身体で感じ取る”ということです。

 

巡縁ちゃん:
自らの身体で感じ取る?

 

 

自らの身体で感じ取るとは

 

りてん先生:
はい。
現代の私たちは、頭の中でものごとを済ませてしまいがちですよね。
計画を立て、問題を提起し、すべてを脳内で完結させる。身体を動かさず、心を動かさず、ただ思考を回すだけ。まるで、CPUのような世界です。

 

 

巡縁ちゃん:
何か、わかります。
考えただけで“やった気”になっちゃうこと、結構あります。

 

りてん先生:
そうでしょう?
そこは身体性が失われ、心もまた檻の中にとじこめたられたようなものなのではないかと思うんですよ。

 

巡縁ちゃん:
檻ですか!ちょっと怖いですね。都市での生活が檻、ってことですか?

 

 

自分で作った檻から自由になるために・・・

 

りてん先生:
そうです。
都会は人工物の檻みたいなものです。コンクリート、ガラス、アスファルト道路、画面、照明。
私たちは脳が作り出したものに囲まれ、自然の息吹を忘れているのです。

 

巡縁ちゃん:
たしかに、人工物に囲まれた建物の中で、朝から晩までテレビやスマホを見ていたりしますね。
それが、前回先生がおっしゃっていた「文明社会に飼い慣らされ」ている状態ということですか?

りてん先生:
そうですね。
しかもその檻は、誰かに閉じ込められているというより、自分で作ってしまったものなのです。
ところが自然は違います。だからこそ、修行として山に入るのが大切なんです。

 

 

山に入ることで気がつくこと

 

巡縁ちゃん:
山に入ることが、なぜ大切なんでしょうか?

りてん先生:
山では誤魔化しがききません。
岩を掴み、息を切らし、冷たい滝に打たれる…という世界です。そこで初めて気づくものがあります。
普段の都会生活の中で、閉じ込められていた心が、ゆっくりと解き放たれていくのを感じるでしょう。
つまり、修験道は、檻を打ち破る道なんです。

 

巡縁ちゃん:
すごい世界ですね。私も体験してみたくなりました。
でも、頭で考えるのと実際にやるのは、全然違いますよね。

 

山では皆、平等

 

 

りてん先生:
その通り。修験道は、想像ではなく体験の道です。
修験道では、誰もが同じ白衣を纏い、同じ道を踏み、同じ岩場を越えます。
そこには導く者と導かれる者の区別はありません。

写真 :  田中利典 先生 Facebookより

 

巡縁ちゃん:
え!私のような初心者は、先生のような偉い人が助けてくれるんじゃないんですか?

 

りてん先生:
いいえ、修験道では、導く者と導かれる者の区別は薄いんですよ。
皆が等しく膝を折り、等しく汗を流す。
偉い行者が手を差し伸べるのではなく、大自然と神仏の前ではみなが平等に行じるのです。
そのことによって、全員が等しく救われていくのです。

 

巡縁ちゃん:
偉い人やベテランの人だけが特別、じゃないんですね。

 

自分で切り開く道

 

 

写真 :  田中利典 先生 Facebookより

 

りてん先生:
そうです。
救いとは、自らの足で歩き、自らの声で経を唱え、自らの身体で感じ取る中でしか生まれない。他者から与えられるものではないのです。

 

巡縁ちゃん:
厳しいけれど、とても誠実な世界ですね。

 

りてん先生:
その通りですね。
修験道は、特別な人のためのものではありません。生きている実感を取り戻そうとする、すべての人の道です。

 

 

修験道は生きている実感を取り戻そうとする、すべての人の道

 

巡縁ちゃん:
少しわかったような気がします。
頭で考えるだけでなく、自らの足できちんと歩き、自らの体で感じることが大切なんですね。

 

りてん先生:
そうです。
体験することでしか、得られないものがある。この修行のかたちが、いまのとても息苦しい日々に追われる多くの人の役に立つのではないかと、私は思っています。

 


おすすめ関連コラム!

 

△クリックで友だち追加!

 

ページトップ