「言葉と心」 南 直哉

「言葉と心」 南 直哉

2026.04.08

 

 

 

20年ほど前から、

希望する人とは面談することにしている。

 

 

皆さん、色々な思いがあって私のところまで来るのだが、そういう時に最近、特に若い人からしばしば言われるのが、

 

 

「そうです、そうなんです、それが言いたかったんです」とか、

 

「どうして私の気持ちがわかるんですか?」とか、

 

「あなたに言われて、やっと自分の気持ちがわかりました」などなど・・・。

 

 

実を言うと、私は相手の気持ちが「わかっている」のではない。

所詮、他人なのだから、要は想像でものを言うだけだ。あれこれ想像して、相手の言いたいことはこんなことかな、と当たりをつけるのである。

 

こういう相手と何度か話しているうちに、何となくわかってきたのは、自分の気持ちを他人に語る基本的な言葉の力が、明らかに彼ら・彼女らに不足していることである。

 

だから、こちらが想像して、こんなことを言いたいんだろうなと、必要そうな言葉を渡してやると、まさにその言葉が相手の気持ちの輪郭をはっきりさせるから、驚くわけである。

 

すると、こちらは言葉の補助をしただけなのに、そういう言葉を提供できるのは、自分の気持ちがわかるからだろうと、相手は思い込むらしいのだ。

 

 

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現代の若い世代は、SNSなどで、膨大な言葉をやり取りしている。

 

私などには、それが言葉の大量生産・大量消費の経済活動のように見える。すると、その「市場」からは、厄介なもの、難しいもの、否定的なもの、苦しいものなど、「売れない」言葉は流通しにくく、排除されていくだろう。

 

そうして、市場に受け入れられない「売れない」言葉は、不定形で不明瞭な断片と化して、彼ら・彼女らの地下に潜って方向を失い、ただ渦巻くことになるだろう。

 

しかし、人間には、まさにそういう「売れない」言葉を、必要な時に、確かに、明らかに、他人に伝える言葉が必要なのだ。

その言葉が萎えるのは、深刻な問題と言えるだろうと、私は考える。

 

 

 

心に悩みを抱える人々 都会の雑踏 南直哉

 

 

 

 

その一方で、そういう「暗くてウザい」話を、

AIに「相談」する人が急増しているらしい。

 

生身の他人に相談するより気楽だからだろう。これも一つの方法で、悪くないアイデアだ。

 

ただ、私が懸念するのは、AIの特性である。

 

私も試してみてわかったのだが、AIは結局、商売で動くプログラムである。

ユーザーを長くサイトに引き留めておくことが、最優先の使命なのだ。

 

すると、AIの返答は、基本的にユーザーに媚びる。基本的に、かつ最終的に、その人の喜ぶような、安心するようなことを言う。

ユーザーもそういう話を聞きたくて、無意識に誘導するようなことになる。これは、必ずしもユーザーのためにならない。

 

 

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もう一つ。

人と対話する時に重要なのは、相手が言わないこと、言わなかったことである。

言ったことの言外のこと、その言わないことに、問題の核心がある場合が少なくないのだ。

 

この「言わなかったこと」は、その存在を対面でしか察することはできない。現在のAIには、どう考えても無理な話だ。当たり前である。

 

この「言わなかったこと」に気づくためにも、なるべく「言ってもらうこと」が必要なのだ。

私は相手の気持ちが「わかっている」のではない。自分で語るきっかけを突いているだけなのだ。

 

 

南直哉 悩みを打ち明ける 友人

 

 

 

 

ただ、この言葉の状況は、若い世代に限らないかもしれない。もっと上、中高年といわれる世代も、苦しさを語る機会が乏しくなっているように感じる。

 

 

彼らの場合、言葉の力の不足というより、自分の「切ない」状況にきちんと向き合い、考え、最後にそれを言葉にするだけの、時間と余裕がないのだと思う。そんな「非生産的」なことをしていたら、「市場」「競争」に負け、「レース」に後れる。「ダメな奴」のレッテルを貼られかねない。

 

 

今はますます「弱音を吐けない」時代になっている。この状況は、若い世代同様、心を蝕む。崩れるとき、「言葉と心」は共に崩れる。

 

 

 

私は静かな、深い危機だと思う。

 

 

南直哉 空を見上げる 

 

 

 

 

南直哉 自己紹介 禅僧 青森県恐山菩提寺 院代 福井県霊泉寺住職 小林秀雄賞

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