2026.08.29
「恐山」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか。地獄、くるくると回る風車、死者とつながる場所……そして「なんとなく怖い場所」。
きっと、そんなイメージをもつ方も少なくないのではないでしょうか。巡縁編集部もそんな想いを持っていました。
今回その恐山を訪れ、霊場恐山菩提寺の院代・南直哉先生に境内をご案内いただくという大変貴重な機会をいただきました。
先生の後ろ姿を追いながら歩いていると、恐山に込められてきた人々の祈りが、少しずつ見えてきます。事前のネット情報ではわからなかった、実際に歩きその土地の空気を感じ、お話を聞いて初めて見えてくる恐山がありました。
今回は、巡縁編集部が南先生とご一緒した順番に沿って恐山をご案内したいと思います。これから訪れる予定の方も、一度訪れたことがある方も、南先生と一緒に境内を歩くような気持ちで読んでいただければ幸いです。

1958年長野県生まれ。曹洞宗僧侶として大本山永平寺で約20年修行した後、2005年より霊場恐山菩提寺院代に就任。多くの参拝者と向き合いながら、仏教や「生と死」をテーマに執筆・講演活動も精力的に行われています。
地蔵堂には、霊場恐山を開山した慈覚大師円仁が彫られたと伝わる延命地蔵菩薩がおまつりされていました。昭和の末に新築されたというこのお堂が、恐山の中心となる本殿です。
延命地蔵像は、僧侶の衣を着たお地蔵様でした。
「これね、すごく珍しいんですよ。」
「僧侶の衣を着たお地蔵様というのは全国的にも珍しくてね。着替えさせるときにどうなっていうのかなと確認したらちゃんと法衣も彫られているんですよ。」
一体なぜ、すでに袈裟が彫られているお地蔵さまにさらに袈裟を着せたのでしょう。このお地蔵様について、江戸ごろには当時の僧侶によって次のような法話がされていたと伺いました。
「このご本尊は、昼間ここで参拝の人の供養を受けているが、夜になると歩いて外へ出ていく。そして、地獄と見なされている岩場に向かい、そこにいる浮かばれずに苦しむ亡者たちを救おうとされる。すると、お地蔵様に救われたい亡者が必死にすがりつくため、お召しになっている衣は擦り切れ、ぼろぼろになっているのだ」と。
恐山はおよそ1200年前、西暦862年(貞観4年)に開かれたとされています。戦火や災害による散逸で文献が残るのは江戸からですが、それ以前の早い時期から恐山に地獄信仰があっただろうと推察されます。
改めてお顔を拝見すると、どこか厳しく凛々しく、地獄にいる鬼を射すくめてしまいそうな、力強い眼差しに気がつきました。これまでお地蔵様といえば可愛らしいお顔かと思っていたのですが、地蔵信仰が始まった当初は、このような凛々しいお顔が多かったとも伺い、その眼差しからは「必ず救う」という強い慈悲を感じられました。
一つエピソードを知ることで、恐山を時間軸から立体的に身近に感じられる。そんな体験から、南先生を追いかけた恐山の旅は始まりました。

恐山の中心となる本殿「地蔵堂」
地蔵堂の裏手には開山堂が繋がっており、開山・慈覚大師円仁像をはじめ、十一面観音像や観音菩薩半跏思惟像が安置されていました。
なかでも印象的だったのは、円空作と伝わる十一面観音像と観音菩薩半跏思惟像です。なたで立ち割ったように彫り上げる力強い作風で知られる円空ですが、こちらは初期の作品とされ、表現は繊細でした。穏やかなお顔に思わず見入ってしまいます。
なお、もう一体、とても不思議な仏頭も安置されていました・・・。
はて、一体これは・・・?と混乱すること請け合い。 こちらについては、今回ここでは説明しません!ぜひ実際に恐山を訪れた時の楽しみにとっておいてくださいね。
地蔵堂の前に立つと、目の前には参道がまっすぐ伸び、その先に青々とした山々が広がります。
「あそこに、白いタンクみたいなものが見えるでしょう。」
「あれは航空自衛隊のレーダーね。」
その山こそ、恐山菩提寺のご本堂に祀られている釈迦牟尼仏の化身である釜臥山嶽大明神が鎮座する、下北半島最高峰の釜臥山(かまふせやま)です。山中には恐山菩提寺の奥の院が置かれおり、曹洞宗のご本尊と同じ釈迦如来像が安置されています。これまた、恐山信仰にはなくてはならない祈りの対象です。
さらにこの山は、北前船が津軽海峡を渡る際の大切な目印でした。命懸けで海を渡った船主や商人たちは、航海の安全を願って恐山に参拝しました。参道に数多く並ぶ石灯籠は、その信仰によって奉納されたもので、 石灯籠の一つひとつには、船や寄進者の名前が刻まれています。現在も恐山の信者の方には東北地方沿岸の漁師の方など、船舶関係者も多いのだそうです。
何気なく眺めていた石灯籠も、先生のお話を聞いたあとからは、江戸から明治にかけての命懸けで船を動かし商売を行った熱い当時の人々の想いと歴史が伝わってくるようでした。

地蔵堂の前から望む参道と釜臥山(かまふせやま)
「次に行きます。」
巡縁一行が釜臥山のお話の余韻に浸っているところ、気が付くと南先生はもう「地獄めぐり」の入口に立っていました。慌てて後を追います。
先生はそのまま、スタスタと地獄めぐりへ。
白く鋭利な岩肌。あちこちから立ち上る硫黄の煙。風向きが変わるたび、さらに濃くなる硫黄の香り。多くの方が「恐山」と聞いて思い浮かべる景色が、目の前いっぱいに広がっていました。
これが恐山・・・・!ちょっとワクワクしてしまいます、不謹慎でしょうか。
先生の後ろ姿を追いかけていると、「参道から出ないでください。」と書かれた一枚の看板が目に入りました。当初、「足元に気をつけてください」という程度の意味だと思っていましたが、何やらもっと重要な意味があるのだとか。

極楽浜にて|昨日はなかった穴を見つけ覗き込む南先生
南先生は前を歩きながら話を続けられます。私たちはそのお話を聞き逃すまいと後を追いました。
昨日まで何もなかった場所に、突然噴気口が開き、立ち入り禁止になることも。いつ始まるのか、そしていつ収まるのかわからない硫黄の吹き出し、昭和30年代のフィルムを見ると、「地獄めぐり」の岩場全体にわたり、足元が霞むほどの硫黄ガスに包まれている様子がわかるそうです。恐山は下北半島国定公園でもあり、貴重な自然が守られている場所でもあります。立ち入りを制限しているのは、人を怖がらせるためではなく、参拝者の安全と自然を守るためでした。
先生から院代に着任した当初に、月明かりのもと恐山を見回ったことが一度だけあると伺いました。安全に歩くのに慎重に足を進め、非常に危険な思いをされたそうです。(そして、残念ながら霊と言ったものには出会えなかったとのこと。オチが最高なのでぜひ関連書籍でこちらのエピソード探してみてください!)
くれぐれも一般の我々は参道を外れず、また当然禁止されていますが、規定時間外の散策を行わないようにしましょう。

「地獄めぐり」の岩場、この日は晴天でとても心地よい風が吹いていた。
地獄めぐりを歩いていると、石積みの前にたくさんのお賽銭が供えられていました。よく見ると、真っ青になっているものが・・・。近づいてみると、それは10円玉でした。硫黄による腐食で、銅が変色してしまうそうです。自然の凄さを目の当たりにし、『すごいですね』しか出てきません。このように自然環境の影響は各種電子機器に顕著に現れるため、例えば、恐山に導入している自動販売機は3か月ともたないのだとか。
「これねぇ〜、10円玉は青黒くなっちゃうんですよ。」
「だから前にね、説教で冗談半分に『黒いお賽銭じゃなくて、白い色のお賽銭がいいなあ』って話したことがあってね」
なるほどなるほど、白いお金というと・・・あれのことか・・・?
「そしたらね……。」 少し間を置いて先生が笑います。
え、10円が、1円に!?思わず私たちも吹き出してしまいました。
変色した10円玉はもう使い物にならず、二度と世間には出ないそうです。
常に厳粛で張り詰めた恐山を想像していましたが、こうした先生の笑い話から、日々霊場を守り続ける方だからこその悩みや、思わず笑ってしまうような出来事ものぞかせていただき、僭越ではありますが、南先生と恐山に対して親しみを感じるきっかけとなりました。
ちなみに、南先生はお父様の方針の一つとして「みんなお前の成功談なんか聞きたくない。失敗談が聞きたんだよ」と言われて育ったのだとか。たしかに、何も言わずともただならぬ知性と迫力が伝わってくる南先生、幼い頃から周りと違うことは歴然だったのでしょう。
南先生からはお父様やご家族との、長い人生を生きるのに「それって大事だよね」と感じられるお話をたくさん伺いました。巡縁一同ずっと笑いっぱなしの心がホッとするお話、こちらもいつか巡縁が教えてもらったエピソードとしてお伝えできればと思います!

「地獄めぐり」岩場の石仏に供えられたお賽銭。変色した10円玉と光る1円玉。
無間地獄を抜けると、恐山菩提寺を開山された慈覚大師円仁がおまつりされている大師堂が見えてきました。
登ってくる間も多くの石積みを見かけましたが、開山堂の前には一段とたくさんの石が積まれていました。ぼんやり見ていると、硫黄の香りがまたふと強くなった気がしました。
先生はその石積みを指さしながら、「丸い石があるでしょう?」と教えてくれました。たしかに、よく見ると、白く鋭い火山岩の中に、つるりとした丸い石が多く混じっています。そういえば、恐山の地面にある石はどれも角ばった火山の石のはずです。けれど、その丸い石は、まるで川で長い時間をかけて磨かれたような形をしていました。
「名前、書いてあるかな。」
「えっ名前ですか!?」
先生に言われて近づいてみると、丸い石のいくつかに、消えかかった文字が見えました。これはおそらく、亡くなった方のお名前。大切な人を思い、その名前を書いた石を、供養のためにここまで持ってこられる風習が古くから続いているのだそうです。
本来、恐山は下北半島国定公園の中にあり、自然物の持ち込みは控えていただきたい場所ではあるのですが、それでも、あえて言及して禁止することはせず、大切な信仰のひとつとして受け止めておられるのだそうです。
何気なく積まれているように通り過ぎそうだった石積みのひとつひとつに、誰かを思う祈りが込められていました。

「大師堂」周りの石積み。祈りの込められた丸い石が点在する。
丸い石たちに刻まれたお名前を見て、なんとなくしんみりしながら歩いていると、今度は先生が急に足元を指さされました。
「ほら、ここ。草、結んであるでしょう。」 言われて見ると、背が高く少し赤茶けた色が印象的な草がしっかりと結ばれています。
「これ、なんだと思う?」「え?な、なんでしょう……(まだ結構、先生に緊張しています)」いたずら……ではないですよね。何か意味があるのかな。
考え込んでいると、先生は答えを言うことなく、
「じゃあ、次。」
そう言って、またスタスタと歩き始められました。
草を結ぶ、その意味を知ったとき、「恐山」はさらにあたたかな温度をもった存在に変わっていきました。
――続きは後編で。

しっかりと片結びされた様子がわかる。この意味は一体?
「恐山」
怖い場所だと思っていましたが、南先生のお話を伺うことで、祈りを込めた過去現在の人々の想いが伝わってきました。けれど、恐山の信仰はまだまだここから。この先にも、多くの方が目にする風車や、賽の河原に残る民間信仰、そして極楽浜へと続く、さらに深い祈りの世界が待っていました。「行きます。」その一言とともに、またスタスタと歩き始める先生の後ろ姿を、巡縁一同は慌てて追いかけます。
後編では、風車や賽の河原、八角堂、極楽浜を巡りながら、恐山に受け継がれてきた人々の祈りをお届けします。

「地獄めぐり」の岩場から、「賽の河原」や「極楽浜」方向へ降りていく南先生
全国のお寺・神社の魅力を発信中。 https://jyun-en.jp/
お守り・お香・開運アイテムなどを取り扱っています。 https://www.rakuten.co.jp/fukusei-shop/
寺社仏閣用品・和装用品の専門店。 https://www.tabiya.net/