2026.09.11
皆さん、こんにちは。二文字屋 利左衛門です。
→第4回、→第5回と、古代インドについて少し難しい話が続きました。
今回はちょっと気楽に、ミャンマー仏跡の見聞録を書いてみようと思います。
旧国名をビルマといい、映画にもなった「ビルマの竪琴」でご存じの方も多いかもしれません。
国民の多くが仏教を信仰する「敬虔な仏教国」として知られています。
そんなミャンマーを訪れたのは今から20年以上前のこと。
当時は飛行機が大の苦手だった私ですが、
ミャンマーと聞くと今でも思い出す、苦い記憶があります。
どこかの国で使い古された機材。そんな飛行機を操るのは、おそらく軍隊上がりの機長。
離陸したと思った瞬間、大きく舵を切ってグイと傾く機体。
離陸後すぐに、こんな急角度で舵を切るなんて。
窓からは、民家に干された洗濯物がはっきり見えている。
急な操縦に驚き、冷や汗をかいている私に「心配ないよ」と笑顔のCAさん。
綺麗な人だなと見惚れていたCAさんと、次の飛行機でも偶然再会します。
「こんな偶然あるんだな…。」
ところが奇跡は二度では収まらず、そのまた次も再会。
…あれ?これって運命の人?
いや、そんなことはない。
きっとこの一機だけで運航しているのだ。

参考写真:マンダレー国際空港に駐機するAir BaganのATR42 ( Photo: calflier001 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0(トリミング))
出発時刻が過ぎても、空港で待たされることもしばしば。そりゃそうです。前の便が到着するまでは出発するはずがありません。
だって、飛んでいるのはおそらく一機だけなのですから。
待ちくたびれてふと外を見ると、滑走路に猟銃を持った職員の姿が。
「あ、これはきっとバードストライクを防ぐためだな。ようやく飛行機、降りてくるぞ。」
でも、何か様子がおかしい。
銃口を空に向けず、なぜか水平に構えている。
…ん?鳥じゃないのか?
そう思って見ていると、なんと追い払ったのは、
のん気に滑走路で昼寝をしている野良犬たち。
野良犬が道を譲るのを待っていたかのように、飛行機が降りてくる。
そして慌ただしく搭乗がはじまる。
何気なく目に入ったタイヤは、溝が無くてツルツル。
滑走路は補修だらけでガタガタなのに。
「ええい、もうなんとでもなれ」と。
それ以後、私の飛行機嫌いは、すっかり治ってしまいました。
いつも怖がっていた日本の飛行機なんて、今や快適そのものです。
仏教にかかわる仕事をさせていただくお陰で、たくさんのアジアの仏教国を訪れる機会に恵まれましたが、ミャンマーで見た夕日は、その中でも忘れられないものの一つです。
ミャンマー中央部にあるエーヤワディー川流域に、数千の仏塔(パゴダ)が建ち並ぶ有名な『バガン遺跡』があります。アンコールワットやボロブドゥールと並ぶ、世界三大仏教遺跡の一つとして知られています。
右を向いても左を向いても、ひょいと〈回れ右〉をしてみても、どちらを向いても仏塔ばかり。360度、見渡す限りに広がる無数のパゴダ、パゴダ、パゴダ。
まるで物語の中に入り込んだような、そんな景色が広がっています。
夕方近くになると、遠く地平線に日が沈むのを一目見ようと、大勢の観光客が集まってくる。
ひときわ大きなパゴダに登り、のんびりとその時を待つ。
欧米からの旅行客だろうか。とうに働き盛りを過ぎた老紳士が、朽ちた石段に腰を下ろしてじっと遠くを見つめている。
ゆっくりと太陽が沈み始める。どこか懐かしい香りのする、乾いた土埃をはこぶ風が大地を包み込み、朱く美しく染まった空とは対照的に、無数の仏塔はひっそりと影を深めていく。
かつて王都であったその地は、そしてその信仰の対象であった仏塔群は、沈みゆく夕日とともに静かな眠りにつく。「もう起こすな」と言わんばかりに。

筆者撮影|眠りにつくバガン遺跡
これほどの多くの仏塔(パゴダ)を建立したバガン王朝のアノーヤター王は、上座部仏教を厚く庇護していました。
上座部仏教では、布施や喜捨によって功徳を積むことが大切にされています。自分や家族の幸せを願い、よりよい来世を願い、喜捨をして現世での功徳を積むために、人々は財を投じ、競うようにパゴダを建設したのです。
その結果として、このように一面に仏塔が広がる壮大な景色が生まれました。
その後、バガン王朝は滅亡の運命を辿るのですが、パゴダ造営に力を注ぎすぎて国の財政が弱ってしまったことも、その一因だったと言われています。
ミャンマーの町を歩いていると、人々が僧侶に食べ物を施す姿をよく見かけます。
仏門に入ると衣食住に困らないということもあり、身寄りのない子どもや仕事のない人々が少しの間だけ僧侶になるなど、仏教が社会の受け皿になり、セーフティーネットとして機能しているのだとか。
首都であるヤンゴンの僧院を訪れると、多くの修行僧が生活していました。
彼らが持っているのは、托鉢のための鉢と数枚の袈裟だけ。
下着の役割として一枚。その上にもう一枚と、重ね着をするように袈裟を着用しています。
袈裟は小さな端切れを縫い合わせて作りますが、この僧院に暮らす僧侶の袈裟も、同じように作られていました。お釈迦さまのお考えになられた袈裟が、こうして今もなお、仏教徒の旗印として、大切に身に着けられているのです。

筆者撮影|托鉢するミャンマーの僧侶
袈裟を見せてくれて、写真撮影にも協力してくれた若いミャンマー僧。
ずいぶん親切にしてくれると思っていたら、
別れ際にこっそり近寄ってきて、
「マニー、マニー」
小声でチップを求めてきます。
「なるほど、これもまた生きるということなのだな」と妙に納得したことを思い出します。
厳しい戒律を守って生活をしているように見えた若い修行僧。
まだまだ世間知らずな20代の私でした。
次回もミャンマー見聞録は続きます。
それでは、また。

筆者撮影|「マニー、マニー」の若い僧侶
■ 次回は10月配信予定!お楽しみに!

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