夏休み直前!一度は行きたい伊勢神宮、見どころとご利益徹底解説!
2024.06.30
今年の夏こそ行ってみない?一生に一度は、伊勢神宮!
もうすぐ夏休み。せっかくの長い休暇に、神社仏閣参拝やパワースポット巡りを考えている人も多いのではないでしょうか。もしまだ行き先が決まっていないなら、今年は江戸時代に流行した『伊勢もうで』を真似て、暑い夏や残り半年を乗り切る元気をいただいてみてはいかがでしょうか。
今回は、一生に一度は参拝したい伊勢神宮について、江戸時代に流行した『お伊勢詣』での回り方や、ルート上のおすすめスポットをご紹介します。
そもそも伊勢神宮とは?
日本神話における太陽神、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る「伊勢神宮」。
「お伊勢さん」「大神宮さん」などと呼ばれ親しまれていますが、正式名称は「神宮」(じんぐう)といいます。
「神宮」というのは、天皇や皇室に縁の深い神様をお祀りしている神社に使われる名称。明治天皇をお祀りする明治神宮や三種の神器である天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、別名は草薙剣:くさなぎのつるぎ)を祀る熱田神宮が有名ですが、伊勢神宮は日本の皇室の祖先である天照大神をお祀りしているため「神宮」のみで表されるそうです。
「神宮」の歴史は、古墳時代に遡ります。元々宮中に祀られていた天照大神を、笠縫邑(かさぬいむら:現在の場所は諸説あり)に移して豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと:崇神天皇の皇女)に祀らせました。
その後、あとを継いだ倭姫命が天照大御神を祀るための土地を求めて各地を巡り、最後に五十鈴川(いずすがわ)上流に磯宮(いそのみや)を建立したのが現在の皇大神宮の始まりと言われています。
全部で125社ものお宮!?
実は神宮は、125社ものお宮の集合体なのだそう。最も格式の高い内宮と、それに次ぐ外宮。加えて、14所の別宮、43所の摂社、24所の末社、そして42所の所管社を合わせたすべてを総称して「神宮」と呼びます。
内宮
内宮は、神宮の中心となるお宮。中でも内宮(ないくう)の正宮(しょうぐう)である皇大神宮(こうたいじんぐう)は、内宮で最も格式の高いお宮です。
御神体は三種の神器の一つでもある八咫鏡で、御祭神として天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)=天照大神がお祀りされています。
外宮
外宮(げくう)の正宮は、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)。内宮の御祭神である天照大御神の食事を司る豊受大御神(とようけのおおみかみ)が祀られています。
東京ドーム約1200個分!?何と伊勢市の約4分の1!
神宮の境内地の面積 は、何と5,500ヘクタール。東京ドームに換算すると、約1200個分にもなるのだそう。この広さは伊勢市の約4分の1に該当するそうで、いかに神宮が広大であるかがよくわかります。
伊勢もうでとは?江戸時代のお伊勢参りに倣ってみよう
江戸時代には、「一生に一度は伊勢詣」として、伊勢神宮への参拝が大変流行しました。当時の参拝ルートは、まず二見浦で禊(みそぎ)を行い、その後外宮と内宮の順で参拝し、最後に朝熊岳に登る、というものでした。
外宮と内宮の正宮では、個人的なお願い事をすることは避けるべきとされています。
それでは、実際の参拝順路に沿って、お伊勢参りをご紹介します!
縁結びのご利益も!まずは二見興玉神社で禊ぎを
神宮に行く前に、まずは二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ )に参拝し、禊(みそぎ)を行います。
二見興玉神社は元々、沖合700メートル程の場所にある興玉神石(おきたましんせき)を拝する興玉社(おきたましゃ)にルーツを持ちます。興玉神石は導きの神である猿田彦命(さるたひこのおおかみ)が降り立った場所と言われており、大注連縄(おおしめなわ)が張られた夫婦岩は鳥居の役割をしています。その後、明治時代に宇迦御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を祀る三宮神社と合祀され、現在の二見興玉神社となりました。
夫婦岩は二つの岩が寄り添っている様子から、縁結びや夫婦円満のご利益がいただけるそう。また、境内には猿田彦命の神使であるたくさんの蛙が祀られていて、「無事帰る=交通安全」「お金が返る=金運」のご利益もいただけるそうです。
▷▷二見興玉神社の公式情報はこちら!
導きの神、猿田彦大神
二見興玉神社の御祭神は、天孫降臨の際に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト:天照大神の孫)の道案内をしたといわれる猿田彦命です。
猿田彦命は導きの神であり、何かに迷った時に正しい方向へ導いてくれます。
無垢塩祓いを受けられる
二見興玉神社では、興玉神石から採取された御霊草『無垢塩草』(ごれいそうむくしおくさ:アマモ)による「無垢塩祓」(しおむくばらい)が受けられます。元々は二見浦で禊をしてから神宮を参拝していましたが、現代ではこの無垢塩祓を受けてから参拝するのが正式な作法だそう。時間の都合で受けられないという人は、お守りとして授与されている『無垢塩草』を受けて、身に着けると良いそうです。
参拝は、外宮=豊受大神宮から
二見興玉神社で禊を済ませたら、いよいよ神宮への参拝です。神宮はまず外宮から参拝するのが昔からのルール。外宮は今から約1500年前の内宮を建立して500年程たった頃、天照大御神が夢に現れて「一人では食事が安らかにできないので、丹波の等由気大神(とようけおおかみ)を呼び寄せてほしい」との御神託があったため、丹波国から「豊受大神」を御饌都神(みけつがみ)としてお迎えしたのがはじまりです。御饌都神とは、お食事を司る神様のこと。以来、外宮の御饌殿(みけどの)では、朝と夕方の2回、神様に食事をお供えする『日別朝夕大御饌祭』(ひごとあさゆうおおみけさい)が続けられているそうです。
衣食住・産業の守り神、豊受大御神
外宮の正宮=豊受大神宮には、天照大神の食事を司る豊受大神がお祀りされています。「ウケ」とは食べ物のことで、豊かな食べ物の神様=五穀豊穣として古来より信仰されています。前述の通り、正宮では自分の願い事は伝えず、参拝できたことへの感謝を伝えるだけにしましょう。
時間があれば、別宮の多賀宮・土宮・風宮も。
外宮には、正宮に次ぐお宮である別宮が3つあります。
個人的なお願い事は、こちらの別宮で行ってくださいね。
- 豊受大御神の荒御魂(あらみたま)を祀る「多賀宮」(たかのみや)
- 水防の神である土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)を祀る「土宮」(つちのみや)
- 雨風を司る級長津彦命(しなつひこのみこと)・級長戸辺命(しなとべのみこと)を祀る「風宮」(かぜのみや)
また、外宮域内(げくういきない)には、天照御大神の弟神・月讀尊(つきよみのみこと)をお祀りしている「月夜見宮」(つきよみのみや)があります。どのお宮も強いお力をいただけると言われているので、時間があればぜひ参拝してみてください。
緑豊かな神域を巡ると身も心も洗われますね
▷▷伊勢神宮外宮の公式HPはこちら!
いよいよ内宮=皇大神宮へ
外宮を参拝したら、続いて内宮へ。内宮は前述の通り、古墳時代に建立された天照大神を祀る大変歴史ある神社。五十鈴川のほとりに、緑豊かな境内が広がっています。
宇治橋の鳥居から先はすべてが聖域
内宮の入口となるのは、五十鈴川にかかる宇治橋。鳥居をくぐって橋をくぐると、そこから先はすべてが聖域と言われています。冬至を中心とした約1ヵ月前後には、鳥居の中から昇る美しい日の出を見ることもできるので、冬季の参拝もおすすめです。
五十鈴川でお清めを
神社に入る前に手水舎で手と口を清めますが、内宮では五十鈴川でお清めをします。石畳が敷かれた御手洗場(みたらしば)があるので、参拝前に清めて行きましょう。
日本人の総氏神、天照大神
砂利道を進んでいくと、ついに正宮=皇大神宮に到着です。御祭神は、天照大神。日本人の総氏神と言われていて、三種の神器のひとつである「八咫鏡」(やたのかがみ)がご神体として祀られています。相殿(あいどの)として、左手に弓を御神体とする天手力男神(あめのたぢからおのかみ)、右手には剣を御神体とする万幡豊秋津姫命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)が祀られています。
ここでも自分の願い事はせず、参拝できたことへの感謝を伝えるだけにしてください。
荒祭宮・風日祈宮も参拝
内宮には10社の別宮がありますが、まず参拝したいのが、天照大御神の荒御魂をお祀りする「荒祭宮」(あらまつりのみや)。ここはあらゆる願い事を叶えてくれるお社と言われています。ぜひ正宮参拝後にお参りしてみてください。また、風日祈宮(かざひのみのみや)は、外宮と同じく雨風を司る「級長津彦命」と「級長戸辺命」をお祀りしています。自然のパワーを操る神様は大変力が強いので、こちらも忘れずに立ち寄ってみて。
名物がいっぱい!参拝後はおかげ横丁散策を楽しもう
内宮を参拝した後のお楽しみは、おかげ横丁の散策です。伊勢の名物が勢ぞろいした参道の商店街。「赤福」や「てこね寿司」、「伊勢うどん」や新名物の「豚捨コロッケ」など、お腹も心も満たされるグルメがいっぱいです。おすすめは、「赤福氷」。暑い夏の参拝だからこそ食べたい、「赤福」の店舗限定グルメを堪能してみてください。
▷▷伊勢神宮内宮の公式HPはこちら!
▷▷おかげ横丁の公式HPはこちら!
神宮の奥の宮、朝熊岳金剛證寺へ
神宮参拝後には、神宮の奥の宮と言われる朝熊岳金剛證寺(あさまだけこんごうしょうじ)に参拝します。
金剛證寺は6世紀半ばに創建された臨済宗南禅寺派の寺院。本尊は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)ですが、共に祀られている雨宝童子(うほうどうじ)は天照大神の化身とも言われているそう。
金剛證寺は神宮の鬼門に位置しており、神宮を守るお寺とも呼ばれています。江戸時代に伊勢参りの流行に合わせたように「はやり歌」として全国で謳われた「伊勢音頭」では、「朝熊かけねば 片参宮」と謳われました。このように、江戸時代の人々にとって「伊勢参り」は金剛證寺を参拝して完成するものであったようです。そのため故郷に戻る前に参拝されていました。
伊勢では故人を供養するためにこの金剛證寺に卒塔婆(そとうば/そとば)を経てる風習があり、奥の院まで続く道には、高いものでは8mもの巨大な卒塔婆がずらりと並んだ、圧巻の景色を見ることができます。
朝熊岳金剛證寺の公式情報はこちら!
まとめ
江戸時代に大流行した「伊勢参り」、そのルートは二見興玉神社で禊ぎを行い、伊勢神宮の外宮、五十鈴川で身を清め、内宮にお参り。最後に故郷に帰る前に、朝熊岳金剛證寺へのお参りというものでした。
古くは「人生に1度は」と言われたお伊勢参り、今年の夏こそ緑いっぱいの神宮を参拝してみてはいかがでしょうか。