【融通念仏宗ってなに?】夏の終わりに幽霊と対面!融通念仏宗の総本山「大念佛寺」のイベント「THE GHOST MUSEUM」に行ってきました~前編~

【融通念仏宗ってなに?】夏の終わりに幽霊と対面!融通念仏宗の総本山「大念佛寺」のイベント「THE GHOST MUSEUM」に行ってきました~前編~

2025.09.12

融通念仏宗の総本山「大念佛寺」で、幽霊に会えるイベントが!

 

夏といえばホラー。

まだまだ残暑が厳しいので、怖い体験ができるイベントに参加して、少しは涼しくなってみたいものですよね。

 

そんな中、春のイベントで少しだけご縁ができたお笑い芸人の「みとほけ」さんが、融通念仏宗の大本山「大念佛寺」さんで幽霊にまつわるイベントをされるとお聞きしました。それはぜひ行ってみたい!しかも、日本仏教十三宗の1つでありながら、融通念仏宗ってなかなか聞きなれない宗派。こちらにも興味津々です!

 

そこで今回は、融通念仏宗とその大本山・大念佛寺についてと、幽霊に会えるイベント「THE GHOST MUSEUM」に行ってきたレポートを、前後編でご紹介します。

前編となる今回は、融通念仏宗について、詳しい解説です。

 

融通念仏宗とは?

 

融通念仏宗は日本の浄土教系仏教の一つ。平安時代末期の僧・良忍によって開かれました。

現代、浄土教系の仏教と言えば浄土宗や浄土真宗などが有名ですが、融通念仏宗はそれよりも早い時代に生まれた宗派で国産の仏教という意味では第一号とも言われています

 

「融通」とは、念仏はすべての者に融け合って障りがないという意味で、融通念仏宗では、「念仏を唱えることで誰でも阿弥陀仏の住む極楽へ往生できる」と説き、それまで身分の高い者だけのものだった仏教が庶民にまで広まるきっかけのひとつとなりました。

 

開祖の良忍と、総本山「大念佛寺」のはじまり

 

良忍は平安中期、現在の愛知県東海市で領主の子として産まれました。生まれた時から産声があまりにも美しかったことから「音徳丸」と名付けれた程で、成長するにしたがってその美声による伝説が多く残っています。

 

天台声明の中興の祖に

 

12歳の時、武家の争いごとを嫌って、比叡山に上り修行を始めます。

勉学に打ち込みつつ厳しい修行を続けた良忍は、21歳という若さで修行僧の教導を任せられる程になりました。

しかし、当時の比叡山は既に堕落した僧が多くなっており、権力者と深い関係を持ったり僧兵となって軍に参加したりと、良忍が理想とする場所ではなくなっていました。

 

そこで23歳になった時、経文に節をつけて詠唱する「天台声明」の根本道場となっていた大原に修行の場を移します。生まれた時から美声を持つ良忍はこの地でも大きく活躍し、現代でも「天台声明の中興の祖」と呼ばれています。

 

阿弥陀如来と聖徳太子に導かれる

 

大原での良忍は、声明の研鑽のみならず、念仏を6万遍唱えたり心身や肉体を痛めつけたりと、激しい修行を続けていました。やがて46歳になった良忍の元に、突然、阿弥陀如来が訪れ

 

「一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行、是名他力往生、十界一念、融通念仏 億百万遍 功徳円満」

 

という啓示を授けました。これは、

 

「一人が念仏を唱えれば、その功徳はすべての人々に融通し合い、全ての人々の念仏が自分自身の功徳となって、衆生を救う」

というものです。良忍はこれまでの修行をすべて捨てて、この教えを広げるべく諸国遊行に出ます。

その途中、四天王寺に滞留した良忍の夢に、聖徳太子が現れました。そして、「ここより東南、杭全の里に念仏道場を建つべし」と告げました。そうしてできたのが、現在の大念佛寺です。

 

大念佛寺とは

 

大念佛寺は、大阪市平野区にある融通念仏宗の総本山。

聖徳太子のお告げを受けた良忍が、この地にあった修楽寺を根本道場と定めたのがはじまりです。後継者に恵まれなかったため平安時代末期に一度は法灯が途絶えたものの、鎌倉時代に中興の祖である法明によって大念仏宗して復活。

 

そして大坂夏の陣の際、徳川方に協力したことから家康・秀忠から回在弘通の許可を得て、平野庄代官に寄進された現在の地に大念佛寺を定堂化しました。

 

明治時代には一度、本堂が全焼失したものの、昭和初期には現在の本堂を建立。そして、現在、本堂は令和の大改修が行われています。

 

関西以外あまりメジャーではない理由

 

融通念仏宗の寺院は、約350寺。その大半が、関西にあると言われています。

では、なぜ他の浄土系寺院のように、全国に広がらなかったのでしょうか。

 

大念佛寺のお坊さんの解説によると(後編でご紹介するイベントでお聞きしました)融通念仏宗では他の宗派のように、ピラミッド式の組織が作れなかったからだそうです。

仏教の教えを説く際、大抵の宗派では、仏と個人の間に必ず「教祖の教え」が入ります。例えば真言宗であれば空海が人々に教えを説き、その教えを受けた複数の人が空海の教えを次の人を教えと、ピラミッド式の組織が出来上がります。

 

一方、融通念仏宗では、開祖の良忍が間に入ることはありません。念仏を唱えることで、阿弥陀如来と個人が直接つながる、という考えです。そのため、教えを布教する僧から各人に口伝で教えが広まり、寺院という形ではほとんど残らなかったことが原因と考えられます。

 

しかし、融通念仏が広がった形跡は、北は北海道から南は九州まで、全国に残っているとのこと。宗派こそ残らなかったものの、その教えは今なお受け継がれているようです。

 

最大の特徴「御回在」とは

 

大念佛寺の御本尊は、十一尊天得如来が描かれた掛け軸です。

 

御回在とは、この掛け軸を担いだ僧たちが、信徒の家を一軒一軒周り、軸を掲げて念仏を唱える、という大変めずらしい法要です。これは現代でも続いていて、十一尊天得如来にちなんだ11人が各地を回り、信徒の家で法要を行っていきます。

 

なお、御回在の様子が、みとほけさんのインスタに上がっています。説明するより見ていただいた方が絶対にわかりやすいので、その所作の美しさをぜひご堪能ください。

 

▷▷mihotoke_chan 大念仏寺さまを特別取材 超高速のご開帳

 

まとめ

 

本来、1つの記事でご紹介するつもりだったのですが、融通念仏宗と大念仏寺、そしてイベントがあまりにも魅力的すぎて、前後編になってしまいました。

 

幽霊との対面とイベントのレポートは後編でご紹介します。ぜひお楽しみに!

 

Deraさん自己紹介

 

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