2026.01.23
「おには〜そとっ!ふくは〜うちっ!」
毎年2月3日付近になると、全国各地の家庭の玄関口でこの声が響き渡ります。
小さい頃は恐ろしく感じられるイベントも、大きくなるにつれて、一年の厄を払い、福を願うひとつの節目へと捉え方も変わっていくはずです。
鬼のお面をして、玄関から登場。
誰が鬼役なのか。誰が一番おもいっきり豆を投げられるのか。
そんな耳馴染みのある行事が「節分」です。
寒さの厳しい冬に、文字通り「節を分ける」日を詳しく解説していきます。
お正月を終え、1月も終わりに近づく時期に節分を一緒に深掘りしていきましょう。
「節分(せつぶん)」とは、文字通り古来より季節の変わり目を指す言葉であり、本来は「立春」「立夏」「立秋」「立冬」それぞれの前日、年に4回設けられていました。
しかし、農耕を中心とした旧暦の生活においては「立春」が新年の始まり、つまり一年の節目としてとくに重要視されたため、現在では立春の前日、年によって変動はありますがおおよそ2月3日頃を指すのが一般的となっています。
この日は旧年と新年の境目にあたり、邪気や厄災が入りやすい「季節の変わり目」と考えられています。そんな背景もあり、一年の災厄を祓い清め無病息災と招福を祈願する、いわば旧暦における大晦日のような役割を担う重要な行事として、日本独自の発展を遂げてきました。
現代の節分といえば「鬼は外、福は内」の掛け声とともに豆をまく「豆まき」や、「恵方巻きの丸かぶり」などが広く知られていますが、その根底には古代中国の習俗と日本古来の信仰が深く結びついた歴史と文化的な背景が見えてきます。
節分の起源は、古代中国で行われていた「追儺(ついな)」という儀式にあります。
追儺(ついな)は疫病や災害をもたらすとされる悪鬼や疫神を追い払うための儀式で、その起源は紀元前の祭祀に遡るとされています。

この儀式が奈良時代の日本に伝来し、次第に日本の宮廷行事として取り入れられました。
当時の宮中では、大晦日(旧暦12月末日)に鬼を追い払う儀式が盛大に行われました。
この儀式は平安時代に宮中行事として正式に定着し、陰陽師によって季節の変わり目に生じやすいとされる疫病や災厄を、年の節目に一掃するための重要な行事となりました。当初は豆ではなく、桃の木の弓や葦(あし)の矢を用いたり、大声をあげたり振鼓(ふりつづみ)を鳴らして追い払い、邪気を払っていたと伝えられています。
「豆まき」という言葉が初めて文献で確認できたのは室町時代の『看聞日記(かんもんにっき)』に、「ここ数年、節分に大豆をまくことが盛んである(抑鬼大豆打事、近年重有朝臣無何打之)」といった旨の記載があります。
「節分」の儀式は当初、災厄除けや延命・長寿を祈るための読経が中心だったのですが、室町時代には病疫を追い払う追儺(ついな)の風習が節分に入り込み初めていることが見受けられます。

また、江戸時代には『江戸名所図会』(えどめいしょずえ)や、歌舞伎・浮世絵から現在と同じように「鬼は外、福は内」と唱えながら節分に豆まきをしていたことが見受けられます。
宮中での「追儺(大晦日の儀式)」と、暦の区切りである「節分(旧暦の新年に向けた大晦日)」という、それぞれ別々に行われていた「年の瀬の行事」が次第に融合し、公家や武家だけでなく広く民間の行事、現在まで続く「節分」という文化となったのです。
今でこそ節分といえば大豆が定番ですが、実は昔からずっと大豆が使われていたわけではありません。
中国の追儺では小豆や五穀が、日本でも米や麦、粟、炭などが使われていた時代があったようです。

大豆が使われるようになった理由には諸説ありますが、最も有力なのは、穀物には古来より邪気や病気を払う力があると信じられていたことに加え「魔を滅する(まめ)」という語呂合わせにあります。
そのほかにも、京都の鞍馬山に鬼が出た時、毘沙門天様のお告げにより、大豆を鬼の目に投げて退治したという話「魔目(まめ)」があったり、まめまめしく働けるほど丈夫でありますようにという願いも込められています。 これらの願いを込めて豆をまくことで、一年間の無病息災を祈願するようになりました。
また、豆を炒(い)ってから撒くのは「魔を射(い)る」に通じ、さらには邪気が宿る隙を与えないよう、芽が出ないようにするためとも言われています。
節分における「鬼」とは、一般的にイメージされるような、単なるモンスターのことではありません。
本来の姿は、目に見えない存在を指す「隠(おぬ)」が転じて「鬼(おに)」になったという説もあるように、古代の日本では、天災、疫病、飢饉、戦乱など、人知を超えた災厄や邪気をすべて「鬼」の仕業として捉えていました。

また仏教においては、人の心に宿る煩悩や欲望も「鬼」と見なされており、豆まきは家の中や心に潜むこれらすべての厄災・邪気を追い払い、清浄な状態にして新しい年(立春)を迎えるための儀式となりました。
鬼の姿が、牛の角と虎皮のパンツというイメージになったのは、陰陽道における「鬼門」の考えからきています。
鬼の出入りする方角である鬼門が、十二支の「丑(牛)」と「寅(虎)」の方角にあたるため、牛の角を持ち、虎の皮を身に付けた、よくイメージされるあの鬼の姿が定着したとされています。
節分の中心となる「豆まき」
一家の主や「年男」「年女」またはその年の厄年の人が豆をまくことが一般的です。
よくある流れとしては、
・ 炒った大豆を用意します。
・ 夜(鬼が訪れるとされる時間)になったら、家族の誰かが鬼の面をかぶるなどして鬼役となり、豆をまく人は家の奥から順に戸口に向かって「鬼は外!」と叫びながら豆をまき、鬼を追い出します。
・ 次に、戸口を閉めてから家の内に向かって「福は内!」と叫びながら豆をまき、福を呼び込みます。
・ 豆まきが終わった後、まいた豆の中から自分の年齢と同じ数(または一つ多く)の豆を拾って食べます。
これを「年取り豆」または「福豆」と呼び、これを食べることで一年間を無病息災で過ごせるとされています。
「恵方」とは、福を司る歳徳神(としとくじん)がいるとされる方角を指します。
七福神にあやかって、穴子、卵焼き、かんぴょうなどの7種類の縁起がよい食材で作る太巻き寿司を「恵方巻き」と呼びます。
節分の夜にその年の恵方を向いて、その太巻き寿司を無言で一本丸ごと食べます。これが恵方巻きの丸かぶりです。

こちらも諸説ありますが、江戸時代末期から明治時代初期にかけて大阪の商人たちの間で行われていた風習が発祥とする説が有力で、近年、海苔業界やコンビニなどの販促によって全国に広まりました。
恵方は毎年変わりますが、願い事を心に念じながら、無言で一気に最後まで食べきります。
この、「切らず」「喋らず」一本丸ごと食べるのは「縁を切らない」「福を逃さない」という意味が込められていると同時に、無言で食べることで願い事に集中し、口から邪気を入れないという意味もあるとされています。
2026年の恵方は「南南東」、2027年の恵方は「北北西」、2028年の恵方は「南南東」
スマホ等にも方位磁石があるので、確認しながら丸かぶりに挑戦してください!

豆まき以外にも、地域によってはさまざまな魔除けの風習が残っています。
柊鰯(ひいらぎいわし): 焼いたイワシの頭を柊(ひいらぎ)の枝に刺して戸口に飾る風習です。鬼はイワシを焼いた時の強烈な臭いと、柊の葉の鋭いトゲが目に刺さるのを嫌うとされ、鬼の侵入を防ぐ魔除けとされます。
節分そば: 江戸時代には、年の境目にそばを食べる「年越しそば」と同様に、節分の日に清めのそばを食べて、厄を断ち切って新しい季節を迎える風習もありました。
こんにゃく: 四国地方など一部地域では節分にこんにゃくを食べる風習があります。こんにゃくを食べることで、体内の悪いものを「砂おろし」として出し、身を清めるという意味があります。
けんちん汁:主に関東地域で食べられる習慣があります。もともとは精進料理で、邪気を払う節分行事には相性がよかったことから、食べられるようになったそうです。今でも肌寒い時期に体を温める食べ物として食べられています。
豆以外のものをまく地域も存在します。
落花生(ピーナッツ): 北海道や東北地方などでは、大豆の代わりに殻付きの落花生をまく家庭が多く見られます。雪の上にまいた大豆が拾えないのに対し、殻付きの落花生は拾いやすく、衛生的なため広まったとされます。拾った落花生の殻を割って食べる風習です。
著名人や大相撲の力士が大勢で参加する成田山新勝寺の節分会では「鬼は外」とは言いません。「福は内!福は内!」と唱えます。これは不動明王の慈悲が大きく、そこにいる邪悪な鬼も屈服し改心してしまうからだそうです。

奈良吉野の金峯山寺でも、「福は内、鬼も内」と唱え、全国から追われてきた鬼を迎え入れます。 これは、修験道の開祖である役行者が法力で「鬼」に仏法を説いて、弟子にしたという故事に習い、鬼たちが「良い鬼」になるからだそうです。最後には、大護摩の火の周りを改心した鬼たちが、喜びの「鬼踊り」を踊ります。
節分は古代中国の思想と日本の伝統的な信仰が融合し、長い時間をかけて形作られてきた日本独自の文化です。
子供の頃に、ワイワイキャッキャするあの節分の行事にはさまざまな願いが込められています。
見えないものを「鬼」とし、旧暦の大晦日に豆を使って祓い清める。これにより新年(春)を迎えるという貴重なイベントでもあります。
今年の節分は、ひとつひとつの行為を少し気にしながら、ひとつの「節」として少し違った「もうひとつの大晦日」を楽しんでみてはいかがでしょうか。
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