2026.02.21
修験道初心者の巡縁ちゃんと、修験道の第一人者・りてん先生の山伏問答。
第2回の今回は、巡縁ちゃんに“山の修行ってどんなもの?”というイメージをぐっと身近にしてもらいます……。

りてん先生:
私は「山伏です」と申し上げましたが、正しくは「かつて山伏をしていた」といったほうがよいかもしれません。
若い頃は大峯の山々を猛烈な勢いで駆け回っていましたが、近ごろはすっかり足腰も弱り、「なんちゃって山伏」です。

とても胸を張って名乗れるような状態ではありません。
それでも、若い頃のように山を走れなくなったからこそ、今こそ若い方々に山修行の魅力を伝えたい、知っていただきたいと思っているのです。
巡縁ちゃん:
山伏修行とは、具体的にどんなことをするんですか?
りてん先生:
そうですね……山に入ってお祈りをするんですよ。
「懺悔懺悔 六根清浄(さんげさんげ ろっこんしょうじょう)」という言葉を聞いたことはありますか?
巡縁ちゃん:
う〜ん、聞いたことあるようなないような……。
りてん先生:
山伏が修行に入ると、山や谷に「懺悔懺悔、六根清浄」という声が響き渡ります。
入峰修行で唱える山念仏のかけ声ですね。
巡縁ちゃんは知りませんでしたが(笑)、
「これやってみたかったんです!」と初参加の女性が目を輝かせていたこともありました。
巡縁ちゃん:
女性も修行に参加できるんですね。
その掛け声、漫画でみたことあるかもしれません!
りてん先生:
そんな出会いもあるかもしれませんね(笑)。
険しい登り道に差しかかると、必ずこの掛け念仏の大合唱が始まります。

延々と続く山坂道を、一心不乱に声を出しながら前へ前へ。
やがて身体も心も、掛け念仏と一体になるような不思議な感覚が訪れます。
山伏にとって、山は神仏があらわれる曼荼羅そのもの。
そこへ入り、一日中、修行に没頭する。大声を出し、苦しい坂を乗り越え、自らを奮い立たせながら念仏を唱え続けます。
「懺悔」とは、神仏に心を開くこと。
汗と脂が流れるほど身体を動かすうちに、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が浄められていく……そんな実感がわいてくるのです。
巡縁ちゃん:
なるほど、まさに修行ですね!
りてん先生:
現代風にいえば、山の修行は神仏による「癒し」の体験ともいえます。
都会の雑踏を離れ、静かな山に足を踏み入れた瞬間、心と体がふっと軽くなる。入峰修行には、まさに「蘇るような感覚」があるのです。
今は登山ブームですが、山伏の“祈りの登山”はまた別世界。
体が動くうちに、ぜひ若い方にも体験してほしいと思っています。
巡縁ちゃん:
なんだか体験してみたくなってきました!でも体力に自信がありません……。
りてん先生:
大丈夫ですよ。
老境に入り、思うように動けなくなった私だからこそ、誰でもできる「ミニチュア山修行」をおすすめしたいのです。
それは、自然豊かな山や森に囲まれた寺社を訪れ、その場にしずかに佇むこと。
ただし——ぱっと行ってぱっと帰るだけでは意味がありません。

巡縁ちゃん:
どうしたらいいんでしょうか?
りてん先生:
山修行で六根を浄めるように、寺社にお参りしたときも、その御宝前にそっと額づき、心を込めて合掌します。
その地に在す「サムシンググレート」を、六根を使って全身で受け取ってください。
自然と向き合い、聖なる神仏と向き合うひとときを大切にする。
しずかにその場に身を置くことで、自分の霊性が自然の息吹にふれ、神仏の力にそっと触れられる。
それこそが、小さな山修行なのです。
巡縁ちゃん:
身近なお寺や神社でも、山修行ができるんですね。
修験道がグッと身近になってきました!今回もありがとうございました。
