お菓子と小判と、四百年|御菓子司「本家菊屋」こぼれ話〜本家菊屋に伝わる六つの秘話〜

お菓子と小判と、四百年|御菓子司「本家菊屋」こぼれ話〜本家菊屋に伝わる六つの秘話〜

2026.07.17

創業から四百年以上――。
奈良・大和郡山で今も暖簾を守り続ける御菓子司 本家菊屋には、数々の逸話が伝わっています。

 

豊臣秀吉公から「鶯餅」の名を賜ったという創業秘話、戦後の混乱期に家業を救った思いがけない宝物の話、、新しい時代に挑戦した先人たちの記録、そして代々受け継がれてきた茶道具や書にまつわるエピソードの数々。

今回は、本家菊屋 二十六代当主・菊屋英寿様より特別にご寄稿いただいた「本家菊屋こぼれ話」をご紹介します。

店舗情報

株式会社 本家菊屋(本店)
〒639-1134
奈良県大和郡山市柳1丁目11番地

・近鉄郡山駅から徒歩5分(大和郡山市役所前)

・TEL:0743-52-0035

・ 営業時間:9:00~18:30
奈良県内に本店を含む7店舗を展開しています。

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本家菊屋に伝わる六つの秘話

 

本家菊屋の歴史

弊店祖 菊屋治兵衛(きくやじへい)が豊臣秀吉公の弟君、豊臣秀長公に連れられ大和の国に参りましたのが天正十三年(1585年)でございます。

 

秀吉公をもてなすお茶会に何か珍菓を作るように命ぜられ献上いたしましたのが、粒餡を餅で包み、きな粉をまぶしました1口サイズの餅菓子でした。

秀吉公は大層お気に召され「鶯餅」と御銘を賜りました。

 

(砂糖が貴重な時代のことですので、一説には全国に点在します鶯餅の原型だという説がございます)

時が経ちいつの頃からか、弊店が御城の大門を出て町人街の1軒目に位置しますことから、

 

「城の入口で売っている餅」 → 「城之口餅(しろのくちもち)」という通称が付けられ、今日に至ります。

 

私で26代目となります。秀吉公の時代の千利休さんから数えてお茶のお家元が15~16代目ですので、弊店は何処かの地でまだ10代程さかのぼれるかと思います。

1代が25~30年としまして、まだ250~300年さかのぼれます。ひょっとしたら弊店は700年の歴史があるかもしれません。

 

小判の話

太平洋戦争が終わり、祖父がお伊勢さんにお参りに行った帰りに百合根を買って参りました。

 

百合根を植えようと中庭の柿の木の根元を掘っておりましたところ、「かきぃ~ん」という音がして、小判26枚、一分金、一分銀、銅銭などが出てきました。

 

壺ではなく籠などに入れられていたのか、周りは腐って何も無い状態で出てきたようです。

戦後、田舎では贅沢品の菓子もなかなか売れるものでもない時代でしたが、大阪高麗橋の土地の話が舞い込みました。

 

まだ金融封鎖がされており預金が引き出せない状況でしたので、小判を証券化して大阪高麗橋の土地を購入し、戦後の支店第1号店を出店しました。

 

販売は祖母の兄に任せてスタートしました。

 

その後、暖簾分けにより「大阪高麗橋 菊屋本店」として独立。長年にわたり営業を続けてきましたが、残念ながらコロナ禍の影響を受け、閉店いたしました。

 

クッキーの話

私の曾祖父は、新しもの好きでした。

 

森永さんがクッキーを始められた頃、同じく機械を導入してクッキーを販売し、輸出まで始めたようです。

しかし、借金をして手を広げたのもつかの間、若くして他界いたしました。祖父がまだ9歳の頃です。

 

その後、層祖母は大変苦労して、「菊屋さん、いつ夜逃げしゃーはるやろぅ~・・・」などと、陰口も言われたようです。

蔵のめぼしい物は売り払い、なんとか首の皮一枚つながり、今日に至ります。

 

もしも曾祖父がそのまま順調に事業を拡大しておりましたならば、今頃は本家菊屋はグリコさんや森永さんのような規模の会社になっていたかも知れません・・・・・。

 

軸「一口残」の話

弊店に伝わる横3文字の軸(茶室の小間に掛けるのにちょうど良いサイズ)がございます。

 

そこには「一口残」とあり、添え書きに「求めに応じて書く」とございます。

今は軸荘してありますが、ずっと額に入り仏間に飾ってあったもので、ずいぶんと年数の経過した色になっております。

 

どなたの書いたものかも分からず、ガラスもはめずに掛けてありましたのですが、先代が気付き軸にさせていただいたものです。

これは大名茶人で有名な柳澤堯山(やなぎさわぎょうざん)公の書でございます。

 

先祖があつかましくもお殿様に菓子を納めた際にお願いして書いていただいたものです。意味合いは「お菓子が美味しかったから、後でまた食べる為に一口分だけ残しておこう」というものです。

 

堯山公のお人柄と、お殿様と先祖との間柄が想像できますよね。

 

看板の話

弊店本店に江戸時代から掲げられております羊羹の看板がございます。

 

右手に5種類の羊羹を表した5色の扇面が描かれ、その下に「元製 五色」の文字が、また扇面の横には縦書きで、「玄武羹 朱雀羹 青龍羹 白虎羹 紫雲羹」 の銘がそして、左下に「英寿製」とあります。(代々、当主が菊屋英寿(きくやえいじゅ)を名乗ります)

 

まわりの縁は朱色がはげて、5色の扇面も色あせております感じから、江戸中期にはなるかと思われます。

昨年、奈良県は平城遷都1300年祭で賑わいましたが、お客様から「玄武羹 朱雀羹 青龍羹 白虎羹 って1300年祭に合わせてうまく商品を作ったのね・・・!」と、お声掛け頂きますと看板を指しまして、「いえいえ、この銘で江戸時代から販売しております・・・」と、お答しておりました。

 

先祖が残してくれました財産です。これからも受け継いで参りたいかと存じます。

茶釜の話

 

店頭で御城之口餅と一緒に召し上がっていただきますお茶の湯を沸かすのに用いた茶釜が残っております。

 

現在は使用しておりませんが、太平洋戦争以前からは有ったのは確かなようでございます。(戦時中、祖父が鉄砲の弾にするのに供出されるのを恐れ、屋根裏に隠したそうです)

 

16枚の菊花の紋がございますところから、拝領品かと思われます。(16枚は皇室の御紋と同じで、デザインが違っても戦前の頃は勝手には使えなかったかと思われます)

 

撮影時に分かったのですが、下の木の台にはコマが付いており、移動出来るようになっております。昔は街道筋を行きかう人々にお茶を振る舞ったことでしょう。

 

まとめ|お菓子と小判と、四百年

本家菊屋に伝わる逸話をたどると、単なる老舗和菓子店という言葉では収まりきらない、歴史の重みが浮かび上がってきます。

 

豊臣秀吉公の時代から受け継がれる菓子づくりへの誇り。幾度もの危機を乗り越えてきた先人たちの矜持。そして、お客様をもてなす心を代々絶やさず守り続けてきた当主たちの想い。
城之口餅や五色羊羹をはじめとするをはじめとする銘菓の背景には、こうした長い年月の積み重ねが、静かに息づいています。

 

時代が変わっても、変わらないものがある――。

本家菊屋の歴史は、和菓子の歴史であると同時に、人と人とのご縁を丁寧に紡いできた物語でもあるのでしょう。
奈良・大和郡山を訪れた際には、その味わいとともに、先人たちが守り伝えてきた歴史にも思いを馳せてみてください。

 

筆者プロフィール

二十六代目・菊屋英寿
PROFILE

二十六代目・菊屋英寿

株式会社本家菊屋 代表取締役社長

大学ではマーケティングを専攻。卒業後は奈良そごう外商部に勤務し、接客や営業の経験を積む。その後、二十六代目「菊屋英寿」を襲名。四百年以上の歴史を持つ老舗の暖簾を、現在も丁寧に守り続けている。

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