2026.10.18
2026年10月14日(水)から12月6日(日)まで、東京国立博物館 平成館にて、開創700年記念 特別展「大徳寺 本朝無双之禅苑」が開催されます。
京都・紫野にある大徳寺は、「一休さん」でおなじみの一休宗純や沢庵宗彭といった名僧を輩出し、天皇や戦国武将、千利休をはじめとする茶人たちの信仰を集めてきた、臨済宗大徳寺派の大本山です。
今回、大徳寺の開創700年を記念して、塔頭や大徳寺派寺院に伝わる寺宝が東京に大集結! 大徳寺の寺宝を一堂に紹介する大規模な展覧会は41年ぶり、東京では初めての開催です。
国宝14件、重要文化財69件という豪華なラインナップに加え、通常非公開の三門「金毛閣」の内部を再現した展示まで登場します。
なぜ、大徳寺にはこれほど多くの日本美術の名品が集まったのでしょうか。
その答えは、700年にわたる大徳寺の歴史のなかにありました。
南北朝の天皇たちが尊崇した大燈国師。型破りな禅僧・一休宗純。そして織田信長、豊臣秀吉、千利休――。
日本史の主役たちが次々と登場する、なんとも壮大な物語です。
巡縁では一足先に報道内覧会に参加してきました。歴史をたどりながら、実際に見て心を動かされた作品をご紹介します!
大徳寺は、京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山です。
その歴史は、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう/大燈国師)が紫野に禅の道場を開いたことに始まります。
宗峰妙超が説いたのは、「峻烈(しゅんれつ)」と評されるほど厳しい禅。
その教えは、南朝の後醍醐天皇だけでなく、北朝の花園上皇からも深く尊崇されました。
展覧会の題名にもなっている「本朝無双之禅苑」は、後醍醐天皇が大徳寺をたたえた言葉。「日本に二つとない禅の道場」という意味です。
ところが、室町時代になると、大徳寺は幕府の保護と統制を受ける五山制度の外で歩むことになります。
五山とは、京都や鎌倉の主要な禅寺を格付けした制度のこと。
大徳寺はその枠組みの外にありながら、独自の禅風を受け継いでいきました。
そして、時代が戦国へと移ると、その大徳寺に有力武将や堺の豪商、茶人たちが集まってくるのです。
大徳寺が歩んできた独自の道が、のちに日本美術の名品が集まる背景にもなっていきます。
第一展示室に入ると、宗峰妙超の坐像と、今回のタイトルにもなっている「本朝無双禅苑」の扁額がお出迎えしてくれます。
厳しい禅を守ってきた方とのことで、どことなく難しそうな雰囲気。
頭の形がとても独特な方だったようで、つい像に見入ってしまいました。
展示は、禅の教えがどのように受け継がれてきたのかを紹介するところから始まります。
「仏祖宗派略図」には、釈迦から歴代の祖師へとつながる禅の系譜が描かれています。
禅宗では、師から弟子へと教えが受け継がれていくことが、とても大切にされてきました。
一人ひとりの名前がつながっていく様子を眺めていると、禅はこうした人々が積み重なって広がってきたんだな、というのがよく理解できます。
最初の大きな目玉となるのが、中国・南宋時代の画僧・牧谿(もっけい)が描いた国宝「観音猿鶴図」です。
観音様を中央に、鶴と猿を左右に配した三幅対の名品。
左手の鶴は、くちばしを開いて、まるで声を上げているよう。
一方、右手の猿は子どもを抱いています。
もっふもふです。かわいすぎます。
さらに、三幅の両脇には、伝牧谿筆の重要文化財「龍虎図」も展示されていました。
こちらは、静かな中央の三幅に比べると、今にも飛び出してきそうな勇猛さがありつつ、それでいてとても上品な雰囲気です。
この五幅の絵、平面に描かれているのに、とても立体的。3Dのように奥行きを感じさせます。
そして、これらが墨を使って描かれていることに気づくと、さらに驚きが増します。
ここで、担当研究員さんの解説が印象に残りました。
鶴がくちばしを開き、子猿が母猿に呼びかけるような姿から、絵の中に「音」を感じることができるというのです。
禅では、音をきっかけに悟りに至るという話も伝えられています。
そして中央にいるのは、その名の通り「音を観る」観音様。
静かな水墨画なのに、耳を澄ませると音が聞こえてきそう。
かわいい猿や美しい鶴を眺めるだけでは気づかなかった、禅の世界の奥深さを感じました。
長年にわたって、これほど美しい作品が守られてきたことにも感動!
時間を忘れて見入ってしまいました。
※国宝「観音猿鶴図」は前期展示です。

「宗峰妙超坐像」江戸時代 18世紀 京都・雲林院【通期展示】
扁額「本朝無双禅苑」 江戸時代 17世紀 大徳寺【通期展示】



国宝「観音猿鶴図」牧谿筆 中国・南宋時代 13世紀 大徳寺
重要文化財「龍虎図」伝牧谿筆 中国・南宋~元時代 13世紀 大徳寺
いずれも【前期展示】

「重要文化財「龍虎図」伝牧谿筆 中国・南宋~元時代 13世紀 大徳寺
【前期展示】




「重要文化財「龍虎図」伝牧谿筆 中国・南宋~元時代 13世紀 大徳寺
【前期展示】
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続いて印象的だったのが、国宝「宗峰妙超像 自賛」。
僧侶の肖像画というと、穏やかで気品のある表情を想像しますが、こちらは違います。
こちらをぐっとにらむような、何とも言えない鋭い眼差し。
まるで「お前はどこまで本気か」と問われているようで、思わず背筋が伸びました。
峻烈な禅風で知られた宗峰妙超の人柄が、絵からも伝わってくるようです。
さらに会場には、宗峰妙超が身につけたと伝わる衣や、亡くなる際に書き残した「遺偈(ゆいげ)」も展示されています。衣には、こちらを書き残す最期のときに膝から流れた血が付いたという伝承が残されていました。
そして、宗峰妙超が残した書は、後世の弟子たちにとっても特別な存在でした。
国宝「看読真詮榜(かんどくしんせんぼう)」は、宗峰妙超が書いたもの。
応仁の乱の際、一休宗純がこの書を袋に入れて持ち出し、守ったと伝えられています。

国宝「宗峰妙超像」自賛 南北朝時代 建武元年(1334)
大徳寺【前期展示】

国宝「宗峰妙超像」自賛 南北朝時代 建武元年(1334)
大徳寺【前期展示】

「直綴 黄地四合如意花折枝 文様顕紋紗」伝宗峰妙超所用
中国・元時代/鎌倉時代 13~14世紀 大徳寺【通期展示】

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室町時代、応仁の乱によって大徳寺は大きな被害を受けました。
その復興に力を尽くしたのが、「一休さん」でおなじみの一休宗純です。
堺の豪商や連歌師らの協力を得ながら、荒廃した寺の再建に取り組みました。
そして、やはり必見なのが一休宗純の肖像画です。
アニメのかわいい子ども一休さんではなく、破天荒な伝説の数々を持つ、大人の一休さん。
宗峰妙超の肖像画よりも、さらに不機嫌そうです。
実は、この鋭い表情には、尊敬する大燈国師の肖像画を意識したと考えられるところもあるのだとか。
しかも、片脚を組んだ、どこかくつろいだような姿勢。
厳しい表情なのに、なんとも自由な雰囲気です。
肖像画の脇には、赤い鞘の長い刀も描かれています。
一休には、木刀を差して堺の町を歩き、見かけだけ立派で中身の伴わない僧侶を批判したという逸話があります。
一休さん、やっぱり型破りです!
さらに、本人が書き入れた「自賛」も見どころ。その字が、とても美しい!
合わせて展示されていた「七仏通戒偈」も、特にダイナミックでかっこよかったです。
宗峰妙超から受け継がれた厳しい禅の精神が、一休という人物を通して、また違った形で現れているように感じました。

重要文化財「一休宗純像」自賛、宗辨禅人請 室町時代 15世紀
京都・酬恩庵【前期展示】

重要文化財「七仏通戒偈」一休宗純筆 室町時代 15世紀
京都・真珠庵 【前期展示】

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戦国時代になると、大徳寺は有力武将たちとの結びつきを深めていきます。
武将たちは大徳寺に帰依し、塔頭(たっちゅう)と呼ばれる小寺院を建立。優れた絵師に作品を描かせ、それらを寺に納めました。
ここで驚いたのが、織田信長との関係です。
天正10年(1582)、本能寺の変で信長が亡くなると、豊臣秀吉の主導によって大徳寺で盛大な葬儀が営まれました。
その後、信長の菩提を弔うため、塔頭の総見院が建立されます。
今回の展覧会には、そんな信長の肖像画も登場します。
なかでも注目したいのが、今回の展覧会に向けた調査で、狩野永徳の筆と位置づけられた「織田信長像」。
普段は総見院に伝わる作品です。
信長に仕えた永徳が、その没後に描いたと考えると、感慨深いものがあります。
また、会場には、大河ドラマ『豊臣兄弟!』で話題の豊臣秀吉と秀長兄弟の肖像画も。
兄弟の肖像が並んで見られて、ファンにとってはたまらない展示でした。
ほかにも、三好長慶や大友宗麟、立花宗茂など、大徳寺と関わりの深い武将たちの肖像が並びます。
大徳寺の歴史をたどっているつもりが、いつの間にか日本の戦国史の真ん中を歩いているような気分になります。

戦国武将との繋がりを表す展示の中でも、圧倒されたのは、狩野松栄筆の重要文化財「仏涅槃図」です。
お釈迦様が入滅する場面を描いた涅槃図は、仏画ではおなじみの題材ですが、今回展示されている作品はスケールが違います。
天井いっぱいまで広げてもまだ足りないほどの巨大さ。
嘆き悲しむ弟子や動物たちが色鮮やかに描かれ、まさに圧巻の作品です。
また、この作品の手前から続く床が、お寺の参道のようになっているのも素敵でした。
涅槃図に向かって歩いていくうちに、自然と気持ちが静かになっていくのを感じます。
さらに驚いたのが、周囲の装飾です。
美しい織物のように見える文様は、実は絵具で描かれた「描表装(かきびょうそう)」。
巨大な画面の迫力だけでなく、細部にまで注がれた技にも目を奪われました。
作品の見せ方も含めて、ぜひ現地で体感してください。
※「仏涅槃図」は前期展示です。


重要文化財「仏涅槃図」狩野松栄筆 室町時代 永禄6年(1563)
大徳寺【前期展示】
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戦国武将や豪商たちの帰依を受け、大きく発展した大徳寺。
ところが江戸時代になると、徳川幕府がさまざまな統制をかけ、寺の運営も次第に厳しくなっていきます。
そんななか、大徳寺をなんとか維持しようと奔走した高僧たちがいました。
その代表格が、龍光院の第二世を務めた江月宗玩(こうげつそうがん)です。
朝廷と幕府のあいだで、僧侶への紫衣の授与をめぐって起きた「紫衣事件」。
この事件では、大徳寺の沢庵宗彭や玉室宗珀らが処分を受けました。
江月は事態の解決に向けて江戸へ赴き、幕府との取りなし役を務めたといいます。
こうした困難を乗り越え、大徳寺では開山・大燈国師の三百年遠忌を営むことができました。
会場には、江月の師である春屋宗園ゆかりの品や、江月自身が残した記録、沢庵・玉室・江月の交流を示す作品も並びます。
大徳寺の700年は、発展の歴史であると同時に、困難な時代に寺を守ろうとした人々の歴史でもあったのです。
そして、この江月宗玩は、大徳寺が誇る「あの宝物」にも深く関係しています。
前述の「あの宝物」とは、今回を逃すと、次はいつ見られるかわからない……国宝「曜変天目」です!
中国・南宋時代、福建省の建窯で焼かれた天目茶碗で、黒い釉薬の内側に、虹のような金属的な光を放つまだら模様が浮かびます。
どうしてこのような模様が生まれるのかは、実は今も完全にはわかっていないのだとか。
現存する曜変天目は、世界でわずか三碗。
そのすべてが日本にあり、静嘉堂文庫美術館、藤田美術館、そして大徳寺の塔頭・龍光院に伝わっています。
前の二館では展示される機会がありますが、龍光院のものは、なかなか目にすることができません。
こんな機会でもなければ、まず出会えないお茶碗です。
しかも、この茶碗を所持していたのは、織田信長や豊臣秀吉の茶頭を務めた堺の豪商・津田宗及。
その息子が、先ほど紹介した江月宗玩なのです。
父から子へと伝わった名碗が、現在も龍光院に大切に残されているというわけです。
実物を見ましたが、まるで吸い込まれるような作品でした。
曜変天目はよく宇宙にたとえられますが、大きく納得です。
暗い部屋の中に浮かぶ、小さな宇宙。
ぜひ、その目で鑑賞してみてください。
ここからは、大徳寺や塔頭に伝わる美術品が次々と登場します。
それらが本当にすばらしすぎて、クラクラするほどでした。
同行していた編集長は、途中で思わず踊り出してしまうほど大興奮していました。
残念ながら報道内覧会でも撮影不可の作品が多かったので、ぜひ現地でご覧ください。
巨大な涅槃図とは対照的に、小さな作品なのに存在感がすごかったのが、伝土佐光信筆の「百鬼夜行絵巻」です。
夜な夜な練り歩く妖怪たちを描いた作品ですが、これが、びっくりするほどかわいい。
ユーモラスで愛嬌のある妖怪たちに、思わず顔がほころびます。
後ほど紹介するグッズにもなっているので、ぜひチェックしてみてください。
※会期中に場面替えがあります。
最後にピックアップしたいのは、襖絵のコーナー。
ここは本当に、圧倒、圧倒、圧倒です。
立ち入った瞬間に、多くの人々から感嘆の声が上がりました。それくらい、すばらしい。
大徳寺の塔頭には、各時代の名絵師が手がけた襖絵が数多く伝わっていますが、通常は非公開のものがほとんど。
小栗宗継、狩野元信、狩野永徳、長谷川等伯、狩野探幽など、国宝・重要文化財を含む作品が次々と並んでいて、あまりの空間に卒倒しそうになりました。
学芸員さんが「日本美術の教科書のよう」と紹介されていたのも納得です。
武将や豪商たちが一流の絵師に作品を描かせ、それらが大徳寺に受け継がれてきた。
だからこそ、これほどの名品が集まっているのですね。
一気にたくさんの本物が見たい!という方におすすめの展示室です。

重要文化財「百鬼夜行絵巻」伝土佐光信筆 室町時代 15世紀
京都・真珠庵【会期中に巻き替えあり】

重要文化財「百鬼夜行絵巻」伝土佐光信筆 室町時代 15世紀
京都・真珠庵【会期中に巻き替えあり】

重要文化財「百鬼夜行絵巻」伝土佐光信筆 室町時代 15世紀
京都・真珠庵【会期中に巻き替えあり】


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ラストの「禅とともに―大徳寺三門の世界」に登場するのは、通常は非公開の三門「金毛閣」の楼上を再現した展示です。
ここだけは、通常展示中で写真撮影OKとのこと!
大徳寺の三門は、16世紀初頭に連歌師・宗長の寄進によって一階部分がつくられ、その約60年後、天正17年(1589)に千利休が二階部分を寄進したと伝わります。
「金毛閣」という名前は、優れた人物や高僧をたとえる「金毛の獅子」という言葉に由来するそうです。
楼上には、本尊の釈迦如来坐像と、その脇に仕える迦葉・阿難立像、そして千利休立像が安置されています。
今回は、これらの像を京都から運び、東京で披露する貴重な機会となりました。
利休の像といえば、三門の楼上に安置されたことが秀吉の怒りを買ったという有名な逸話があります。
「天下人が門をくぐるたびに、利休の足の下を通ることになるではないか」
そう秀吉が怒り、利休切腹の一因になったとも伝えられています。
ただし、今回展示されている像は、その逸話に登場する当時の像ではありません。
頭部は江戸時代後期、体部は明治時代に制作されたもので、岡山の茶人・伊木三猿斎が所持していた像が、のちに大徳寺へ寄進されたものです。
それでも、今なお金毛閣に利休像が安置されているというのは、何とも言えないですよね。
また、金毛閣の天井画や柱絵などは、桃山時代を代表する絵師・長谷川等伯が手がけたもの。
会場ではその装飾も再現され、鮮やかな赤が印象的な、迫力満点の空間が広がります。
茶の湯の大成者として知られる千利休ですが、山門の建立にも深く関わっていたことを知ると、当時の政治や文化の中心にいた人物だったことが、改めて感じられます。
ぜひ、ダイナミックな空間を楽しんでみてください。




「千利休立像」体部:田中浄慶作
頭部:天保11年(1840)/体部:明治2年(1869)
大徳寺(三門安置)【通期展示】
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今回の特別展は、前期(10月14日〜11月8日)と後期(11月10日〜12月6日)で、展示作品が大きく入れ替わるのも特徴です。
どちらに行くか迷う方のために、見どころの展示時期をまとめました。
ちなみに、国宝「看読真詮榜」は会期中に場面替えが行われます。
「百鬼夜行絵巻」も場面替えがあるので、訪れる時期によって違った楽しみ方ができそうです。
これもまた、迷ってしまいますね。
ただ、龍虎図と織田信長像は前期と後期で別作品が展示されます。
どちらかしか行けないというならば、公開機会の少ない「曜変天目」や「観音猿鶴図」が見られる前期がおすすめです!
もちろん、後期にも見逃せない国宝や名品が並びます。
できることなら、前期も後期も両方行きたい!
※作品によっては週単位の展示替えや場面替えがあります。お出かけ前に公式出品目録をご確認ください。
展示を見終えたあとは、お楽しみのグッズコーナーへ。
今回は、グッズがかなり充実していました。
特に目を引いたのが、「観音猿鶴図」と「百鬼夜行絵巻」をモチーフにしたかわいいグッズの数々。
百鬼夜行絵巻のぬいぐるみクッションやぬいぐるみチャーム、ぷっくりシールなど、思わず手に取ってしまうものがずらり。
Tシャツやサコッシュ、お香やお茶など、目移りしてしまうラインナップです。
私は「観音猿鶴図」の猿がプリントされた手ぬぐいと、お手頃価格のしおり、さらにクリアファイルを2枚購入しました!
また、大徳寺の御朱印が記入された限定の御朱印帳も頒布されています。
こちらもすごくステキだったので、ぜひチェックしてみてください。
そして……今回買ってきたグッズの一部は、巡縁のLINEフォロワーさんへのお土産として、プレゼントする企画を予定しています!
LINEだけでしか読めないとっておきの情報もお送りしているので、ぜひフォローしてくださいねっ!


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大徳寺展としては41年ぶり、東京では初開催となった、大徳寺の寺宝を一堂に集めた特別展。
想像以上に貴重な宝物ラッシュで、見終えた後の満足感がすごいという感想でした。
しかし、今回とくに印象に残ったのは、これほど多くの名品が、なぜ大徳寺に伝わっているのかということです。
南北朝の天皇たちに尊崇された大燈国師。応仁の乱からの復興に尽くした一休宗純。戦国時代の織田信長や豊臣秀吉、茶の湯の世界を築いた千利休。そして、江戸時代の困難を乗り越えた江月宗玩らの高僧たち。
それぞれの時代を生きた人々が、大徳寺の歴史をつくり、数々の寺宝を後世へと伝えてきたのです。
禅寺の展覧会を見ていたはずなのに、気づけば日本史の壮大な物語に引き込まれていました。
禅や茶の湯、日本の歴史に興味がある方はもちろん、普段あまり仏教になじみがないという方にもおすすめしたい展覧会です。
ぜひ会期中に足を運んでみてください!
※本記事は主催者提供のプレスリリースおよび2026年10月13日の報道内覧会をもとに作成しています。展示室内の取材写真は主催者の許可を得て撮影したものです。一般来館者による写真撮影は、終章の指定エリアを除き原則禁止されています。本記事に使用されている一切の画像・テキストの無断使用を禁じます。