2026.06.02
編集部より
奈良国立博物館で開催中の特別展「神仏の山 吉野・大峯」。
長年にわたり修験道の魅力を伝えてこられた田中利典先生(金峯山寺長臈・林南院ご住職)より、本展をご覧になった感想をお寄せいただきました。
「権現さまだからありがたい」。
その言葉に込められた意味を、ぜひご覧ください。
あと一週間で閉幕となる特別展「神仏の山/吉野大峯~蔵王権現に捧げた祈りと美」…。連日の超人気である。
とりわけ、史上はじめて山を下りられた大峯山上の秘仏御本尊蔵王権現さまの出開帳。
その女人禁制のお山の御本尊さま群に、しずかに手を合わす女性たちの祈りは、崇高な佇まいの中にあった。

私は15歳で修験道信仰に入り、長年にわたって、蔵王権現さまの素晴らしさについて布教してきた。
しかしその傍らでじつはずーーーと疑問におもってきたことがあった。
権現とは「仮にあらわれた姿」をいう。「権」とは「仮」という言う意味である。
権大納言とか権宮司とか・・・。
蔵王権現様は本地(本来の姿)の釈迦・観音・弥勒の仏が、修験道開祖役行者の願いに応えて、大峯の岩を割って、権現として出現された姿である。
私の疑問は、
・・・ってことは権現とは仮の姿なのだから、「元の方がありがたい」のではないんだろうか、っていうこと。
これ、今まであまり人に語ったことはない。
先の金峯山寺結縁潅頂でもそう感じたのだが、この疑問自体が、企業秘密というか、信仰的なタブーでさえあると私は思って、封印してきたことである。
それが、なんと20万人に迫る参観者で賑わう奈良国立博物館の会場に足を運ぶ度に、あらたな気づきをいただくことになった。
人という生き物はやっかいなものである。
昨日のこともくよくよするし、10年前の出来事だっていまだに後悔したりする。
まだ来ぬ明日のこと、1年先のことも心配する。
隣の町の心配もするし、隣の国、北朝鮮、中国、ウクライナ、ロシア、イスラエル、イラン・・・と心配事は際限がない。
宇宙のことも心配する。
太陽の黒点の動きも心配だ。海の底の地殻変動のことさえ、危惧している。
そんなことは牛や馬や犬や猫はしないだろう。
いや彼らは自分の死についても考え込んだりしない。人間は自分が死ぬことも知っている。そして多くの思いに悩み患い、苦しむのである。
しかもである。
人はついには、そんな自分の存在が広い宇宙で広い世界で、たったひとりで生きているという、誠に頼りない心細い存在であることにも気づいてしまうのである。
そんなちっぽけで儚い人間にとって大事な支えとなるのは、自分を超えた永遠との出会いである。
いわゆる、グレートサムシングとの出会い。それを得て、こんな不確かで心もとない人生ではあるけれど、それなりに安楽に生きられるのだと思っている。
それが宗教の持つ真の意味かもしれない。
で、蔵王権現の話に戻るのだが、「仮にあらわれた」のがありがたいのである。
仮にあらわれたというのは、「目の前に現実におられる」っていうことだ。
理屈とか理論とか、能書きではなく、仮でも何でも、目の前に、現実に存在するっていう権現さまのありがたさ。
山上ヶ岳で千年以上、行者たちの祈りを受けてこられた蔵王権現群さま。
アメリカから里帰りされた権現さまもいる。
その権現さま達が奈良に降臨され、あまたの人々の祈りを受けられている。
その姿を目の当たりにして、本当の意味での、権現さまのありがたさに出会わせていただくことが出来たのだった。
展覧会は6/7まで…。
もう今生で山上ヶ岳の秘仏御本尊をはじめ貴重な権現さま群に出会う機会はない。
是非、「権現さまだからありがたい」の世界を体感してほしい…
編集部あとがき
「仮の姿だからこそありがたい」という言葉が印象的でした。
私たちは目に見えないものを感じながらも、目に見える形にこそ安心を覚えます。今回の展示では、千年以上にわたって祈りを受けてきた蔵王権現さまが目の前にご出現くださっていること——それ自体に、多くの方が自然と手を合わせていらっしゃいました。入場者数は15万人を突破したとのこと。
全国から権現さまのもとに集まる方々の姿に、修験道の祈りが今なお多くの人の心を動かし続けていることを感じます。
先生の「山伏問答」は、修験道に初めて触れる方にも、すでに深く学ばれている方にも、新たな気づきを与えてくれる内容です。今回のご寄稿とあわせて、ぜひ多くの方にご覧いただければと思います。
もし会期中に足を運べる方は、ぜひご自身の目で「権現さまだからありがたい」という意味を感じてみてください。
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