世界遺産「比叡山延暦寺」で開運女子旅 〜後編~
2024.07.29
東塔参拝を終えて、西塔と横川へ。
「神社お寺を巡りまくっている」ライターとその友人一同が比叡山を訪れた様子を、巡り方や参拝時間なども参考になるように前編・後編でお届けしています。
ライターとその友人一同は「まぁまぁ時間があるから、比叡山を満喫したい」という方におすすめの、3つのエリアのメインの場所を訪れるコースを巡っています。
今回は、「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」をお届けします!ぜひ「比叡山延暦寺めぐり」の参考にお楽しみください。
比叡山の3エリア「東塔」「西塔」と「横川」は、どんな歴史を持った場所?
歴史大好きライターのレクチャー
比叡山は「東塔」、「西塔」、「横川」の主に3つのエリアに分かれます。
前編で巡った「東塔」エリアは根本中堂を中心とする最澄が作り上げた比叡山発祥の地でした。「西塔」は2代目の座主である円澄が、「横川」は3代目座主である円仁が開いた地です。
最澄の入滅後、天台宗の初代座主(宗門のトップ)に義真(ぎしん)が就任しました。
義真は最澄の通訳として唐に渡り、ともに修行をした最澄の信頼が厚い人物でした。義真は次の座主として自分の弟子であった円修を指名します。
しかし、これに最澄の弟子たちは反発します。結果として最澄の直弟子である円澄(えんちょう)が2代目の座主となり、円修たちは比叡山を降りて奈良の室生寺に移りました。
円澄は最澄の遺言であった「西塔」の建立を行うなど、比叡山を発展させましたが、その頃次第に宗内の対立や抗争が広がっていました。
3代目座主の円仁(えんにん)は10年近くも唐で修行を行い空海も伝えなかった密教の秘法を受けた人物でした。世俗化した「東塔」「西塔」から遠ざかるように「横川」の地に入り、杉の大穴で3年間にわたり坐禅や写経修行を行い、写経の基本作法をまとめたと言われます。
円仁は当時の朝廷からの信頼も厚く、天台宗を確実なものとしていきました。
しかしその後天台宗は、円仁派と義真の弟子であり唐で学んだ円珍(えんちん)派、いわゆる山門派と寺門派に分かれ、さらに対立や抗争を深めるようになっていきます。多くの名僧・高僧を輩出した延暦寺ですが、一方で日本の歴史に残る大きな力を持った歴史もあります。「仏教と歴史大好き」ライターとしては、歴史が詰まった場所としても興味深く見逃せないスポットです。
「比叡山と日本の歴史」はまたいつかコラムでご紹介したいと思います。
西塔エリア
東塔の駐車場に戻り、再び比叡山ドライブウェイを通って「西塔」エリアへ向かいます。「西塔」は、「にしとう」ではなく「さいとう」と読みます。東塔から西塔までは、わずか1kmなので車で数分、歩いても20分程です。
西塔は一般人向けの修行道場にもなっており、以前は予約をすれば修行体験を受けることができましたが、現在は台風21号で施設に被害が発生したため中止されています。再会が待たれます。
静寂な雰囲気にしっとり
西塔の専用駐車場に駐車します。この日は受付の方がいなかったので、チケットは見せずに入山できました。西塔はにぎやかだった東塔と違って、苔むしてしっとりとした様子が目に入ります。
椿堂は聖徳太子が比叡山に登ったときに杖にしていた椿が大木になったとも、箕淵弁財天が椿を植えたとも言われる伝説が残る小さなお堂。椿堂を見ながら苔むした道を進むと、常行堂(じょうぎょうどう)と法華堂、そして2つの建物をつなぐ廊下が見えてきます。
この廊下は「にない堂」と呼ばれ、弁慶が肩を入れて担って比叡山に持ってきたという伝説がある建物、とても雰囲気がありました。
「にない堂」から西塔の本堂にあたる「転法輪堂」(てんぽうりんどう)に向かいます。御本尊が釈迦如来であることから、通称「釈迦堂」と呼ばれています。この釈迦堂、元々は滋賀県大津市に園城寺(三井寺)にあった金堂だったものを、秀吉が信長による焼き討ち後の復興に移築したものだそうです。
お寺としての歴史だけでなく、日本の政治の歴史も持っている比叡山。改めて深い場所だと感じました。
勝手にパワースポットを作ったら、浄土院と瑠璃堂に行き忘れる
「釈迦堂」の参拝後、元の道を戻っていきます。すると途中、親鸞聖人旧跡と「にない堂」の間にある広場に、三本の木が石で囲まれたスポットに気がつきました。
これは・・・もしかしてパワースポット?と、同行者2人と大はしゃぎ。
真ん中に入って、手を広げてみてパワーをいただこう!?と相談しているうちに何となく体がダルくなってしまうという症状に見舞われました。
かなりの暑さの中で歩いたことも原因だと思うのですが、その時は「不敬なことをしようとしたから!?」と焦って一同そそくさと車へ戻りました。結果、西塔の見所である「浄土院」と、比叡山の焼き討ちで唯一焼け落ちなかったという「瑠璃堂」、2つの見所に行き忘れてしまいました。
あとで調べてみたところ、古くから比叡山には比叡山を守る天狗が住んでおり、不信の輩を見張っているのだとか。
やはりお参りには真摯な気持ちで向かうことが大切だと反省、皆さんもどうぞお気をつけくださいね。
横川 エリア
続いて、比叡山3エリアを踏破すべく少し離れた「横川」エリアへと向かいます。
道路は比叡山ドライブウェイから、奥比叡ドライブウェイに変わります。カーナビから時々「京都府に入りました」というアナウンスが流れてきます、比叡山が本当に京都と滋賀の県境にあることを実感します。奥比叡ドライブウェイを走る車から窓ごしに見える、山間の京都の街並みが本当にキレイです。
西塔から横川までは、4kmほど。車では約5分、シャトルバスだと約10分ですが、歩くと1時間ほどかかるそうなので、車かシャトルバス移動がおすすめです。
朱塗りの舞台づくり、印象的な横川中堂
「横川」は、第3世天台座主の慈覚大師円仁によって開かれたエリア。
西塔よりもさらに静かで荘厳な雰囲気でした。横川も入り口に駐車場が完備されています、ゲートの寺院の方にチケットを見せて進んでいきます。
参道を行くと「龍ヶ池」と、その中に祀られた「龍ヶ池弁財天社」が見えてきます。
この池には元三大師のと大蛇の伝説が残ります。
昔々、この池に住み着いた法力を持つ大蛇が人に害を与えていました。元三大師は退治をしようと、大蛇に対して「大きくなってみろ」といいます。すると大蛇が大きくなりました。
次に「小さくなってみろ」というと、得意げに大蛇が小さくなったので、元三大師は観音様の念力で閉じ込めてしまったというもの。
このエピソード、幼い頃に聞いた昔話によくあるパターンだとニヤニヤしてしまいました。
現在の龍ヶ池はかなり小さく、しかも浅そうでした。長く閉じ込められているうちに、大蛇にとって池はお風呂くらいの大きさになってしまったのではないでしょうか。想像すると何だか大蛇が愛らしく感じます。
横川中堂で再び不思議体験
すぐに横川を代表する建物が見えてきました。
横川の中心となる、「横川中堂」です。舞台づくりの立派な建築ですが、横川中堂は歴史の中で何度も焼け落ちています。昭和初期にも雷によって焼失しており、現在のものは昭和48年に復元された遣唐使船をイメージして作られているものだそうです。
初夏の瑞々しい緑を背景に朱塗りの建物が輝き、剃り立つ屋根が空を切り取ります。とにかくカッコイイ!何度焼失しても直し続けた方々の気持ちが伝わってきます。
階段を上がって、早速参拝へ向かいます。入り口から回廊をぐるりと進むと、ご本尊である聖観音菩薩がお祀りされています。
筆者、ここで再び不思議体験をしました。
聖観音菩薩に手を合わせていると、全身にふわっと暖かい風を感じました。風通しがいいところなのかな?と顔を上げると、目の前のろうそくは揺れておらず…そして、先ほど一緒に不思議体験をした同行者も、「何か、前からほわって暖かくなった!」と言っています。聖観音菩薩のご利益だったのでしょうか、比叡山から大歓迎をしてもらえたと感じる心が揺れる素敵なできごとでした。
横川中堂で写経体験をしたら最高すぎるおもてなしをいただく
予定よりも早く旅程が進んでいたため、横川中堂で写経修行をすることにしました。
般若心経をすべて書くと1時間ほどかかりますが、「延命十句観音経」ですとわずか42文字、15分ほどで書き上げることができます。比叡山に訪れた際には、ぜひ体験されてはいかがでしょうか。忙しい現代社会の中、集中して無心に写経に取り組む時間はとても貴重です。
更に受付をして下さった尼僧の方のホスピタリティ溢れるご対応に感動しました。 写経を申し込むと、「手が汚れた時にお使い下さい」と、大変かわいいウェットティッシュをいただきました。
また、お代を渡す際に先方の電子機器にトラブルがあったようで(前日の大雨で電波障害が起こっていた様子)、少しだけ待ち時間がありました。こちらは特に気にもしていなかったのですが、納経に行くと「先ほどは失礼しました。お詫びではないですが記念にお持ち帰りください」と、ステキなハンカチをお土産にくださいました。
さらに、限定の御朱印までいただけました。なんでも、現在の写経は根本中堂改修費への寄付として奉納されるためだそう。
思ってもみないギフトの数々に一同、旅のウキウキが高まります。こんなによろしいのでしょうか? 嬉しすぎるおもてなしにさらにテンションを高くした一行、比叡山を更に知るべく奥へと進んで参ります。
おみくじ発祥の地!魔除け・角大師のモデルに出会う
横川には中興の祖とも呼ばれる元三大師(慈恵大師)を祀る四季講堂(別名、元三大師堂)があります。この元三大師さん、現代まで伝えられているかなり有名な「あるもの」の生みの親なんです。なんだかわかりますか?初詣に行くと必ず振ってしまうあれ、そう、延暦寺、実はおみくじ発祥の地なんです。
様々な人から悩みや相談を受けていた元三大師は、ある時から100枚の偈文を引いてアドバイスを始めます。相談に合わせて観音菩薩に祈念して偈文を引き、出たものから相談者へ進むべき道を示したそうで、その100枚の偈文が現在のおみくじの元になったそうです。
また、元三大師は「角大師」のモデルとなった人でもあります。黒い鬼が描かれたお札を、一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか。一説によると、都に疫病が蔓延していた際、自らが鬼に化けて疫病神を追い払った姿を弟子が写し、魔除けの護符として頒布したのがはじまりだそうです。現代でも魔除けとして頒布されていて、もちろん延暦寺でも授与していただけます。
おみくじは現在でもお願いすることができます。事前の完全予約制で、僧侶の方が丁寧に悩みや相談事を聞いてくださり、偈文を引いて進むべき道をアドバイスくださる元三大師から受け継いだ方法で行ってくださいます。
【全面リニューアル比叡山延暦寺会館】8月1日より、宿泊予約再開します。
今年6月よりリニューアルのため全面休館していた比叡山の宿坊である「延暦寺会館」が、9月1日(日)より宿泊を再開するそうです!
琵琶湖を遥かに望むお部屋や、修行体験や宿泊者向けの精進料理も楽しめます。世界遺産比叡山のお詣り体験が更に深くなる機会、ぜひご予約くださいね。
宿泊予約開始
電話予約 令和6年8月1日(木)10時受付開始
ホームページ予約・各種予約サイト 令和6年8月1日(木)以降随時
まとめ
半日で主要な3エリアを巡ることができた比叡山ですが、この来訪を通して更に比叡山への興味が深まり、見みたい場所がたくさん増えたというのが参拝を終えた今の感想です。
比叡山最古の建造物を言われる瑠璃堂はぜひお訪れたいスポットでした、言い伝えによると本堂が発した瑠璃色の光に陽成天皇が驚いたとのこと。瑠璃堂のエリア近くにある青竜寺は浄土宗を創設した法然の修行の地としても有名です。他にも、比叡山の焼き討ちの痕跡が残る「弥勒の石仏」など、比叡山の歴史を感じるスポットは枚挙にいとまがありません。
比叡山の麓にも見どころがたくさんあります。最澄が生まれたとされる坂本エリアや、日吉神社や園城寺(三井寺)などのパワースポットがたくさんあるので、次の機会に散策してみたいと思います。
多くの日本仏教発祥の地でもあり、最澄入滅から1200年が経った今もなお日本有数の祈りの場である比叡山。参拝したことのない方にはぜひ参拝をおすすめしたい場所です。そして、行ったことあるよという方も、令和8年には根本中堂の改修が終了予定です、進化し続ける比叡山を今一度体験してみてはいかがでしょうか。
こちらもおすすめ!