2026.07.01
奈良には有名な寺院がたくさんありますが、中でも話題なのが、桜井市にある【長谷寺】です。
真言宗豊山派の総本山であり、山1つがお寺。また、今年はちょうど開山1300年という大きな節目であり、さらに大河ドラマ「豊臣兄弟!」で注目される豊臣秀長ゆかりの地でもあるとのこと。「ぜひ巡縁でご紹介したい」と思ってお願いをしたところ、何と快く取材と撮影の許可をいただくことができました!しかし、お話を伺ったり、境内を撮影したりすると、あまりのスケールの大きさに、1つの記事ではご紹介しきれないことが判明…

そこで今回は、奈良にある長谷寺について、その歴史や文化、開山1300年記念の行事や豊臣秀長との関係、そして実際に参拝した様子などを前後編でお送りします。
まず前編では、長谷寺の広報をご担当されている瀧口様にお伺いした、長谷寺についての詳細や1300年の記念行事などのお話からお届けです。
巡縁だけに教えてくださった、 “とっておきの情報” もあるので、必見ですよ!
長谷寺は、奈良県桜井市にある、真言宗豊山派の総本山。正式名称を「豊山 神楽院 長谷寺(ぶざんじんがくいんはせでら)」といい、西国三十三所観音霊場の第八番札所にも数えられます。
飛鳥時代、天武天皇の病気平癒を願った道明上人が、この地に法華説相図を安置したのが始まりとされています。古くは万葉集や平安文学にも度々登場しており、「何でも願いを叶えてくれる観音様」として多くの人から信仰を集めてきました。

本尊は高さ約10メートルにも及ぶ十一面観世音菩薩立像で、日本最大級の木造仏として知られています。
また、本堂へと続く399段の「登廊」や、国宝にも指定されている懸造り(舞台造り)の本堂、日本に四基しかない桧皮葺の五重宝塔(現在修繕中)など、境内には数多くの見所があります。


また「花の御寺」としても親しまれており、牡丹や桜、紫陽花や紅葉など、四季折々の花が境内を彩ります。

大和國 長谷寺
〒633-0112
奈良県桜井市初瀬731-1
長谷寺は奈良県の山間に位置していますが、公共交通機関・車のどちらでも、比較的スムーズにアクセス可能です。
電車をご利用の場合
近鉄大阪線「長谷寺駅」より徒歩約15分
駅から参道を歩いて15分ほどで到着します。
道中には昔ながらのお土産物店や名物の草餅屋が並んでいて、風情ある街並みが楽しめます。
お車をご利用の場合
・西名阪自動車道「天理IC」より約30分
・名阪国道「針IC」より約20分
※周辺に有料駐車場あり
長谷寺は前述の通り、西暦686年に道明上人が、現在の五重塔が建つ西の丘に「銅板法華説相図」を建立したのが始まりとされています。
「ただし、1300年の起点としているのは、その少し後。道明上人の弟子にあたる徳道上人が、現在の観音堂のある場所に観音様を安置したタイミングを【開山】と定めています。」
とのこと。つまり、そこから1300年が経つのが今年に当たるそうです。

まずは、そんな開山1300年を記念した行事などについて、詳しくお伺いしました。
長谷寺ではこの記念の年に合わせ、さまざまな行事が予定されています。
「まずは、長谷寺の創建に深く関わる、『銅板法華説相図』の展示がはじまります」
普段は奈良国立博物館に所蔵されている「銅板法華説相図」が、3月14日から7月5日まで長谷寺に里帰り、特別公開されます。
法華経の見宝塔品に登場するシーンが描かれていて、巨大な塔と無数の仏様が描かれた、圧巻のデザインです。また、ここに登場する金剛力士像は日本最古と言われており、大変貴重な資料でもあります。
「これは未発表(インタビュー当時)なのですが、これまで長らくレプリカが展示されていた『大観音大画軸大開帳』の本物を公開します」
平成30年の公開を最後に収蔵されていたこの貴重な作品が、1300年という節目に改めて公開されることになりました。消失した本尊を復興再建するために設計図として作られたと伝わる、こちらもとても貴重なもの。何より、その大きさに驚愕すること間違いなしです。
室町時代に制作された「長谷寺縁起絵巻」の複製頒布が行われます。全6巻からなるこの絵巻は、女性や子どもでも手に取りやすいよう、通常よりも小ぶりなサイズで作られた大変めずらしい形態のもので、
「絵を描いたのは土佐派の絵師、詞書を記したのは公家の関係者とされていて、当時の将軍の教育用に作られたものと言われています」
とのこと。
何とも貴重なものなので、ぜひ手に取ってみてください。
開山1300年を記念して、境内では大規模な修繕工事も行われています。長谷寺のシンボルともいえる五重宝塔の工事では寄付も募っていて、
「寄付をいただけると、ご芳名を巻子に記して、五重宝塔内に奉安させていただきます」
とのこと。さらに何と1,000円~のご寄付をするだけで、限定の古い塔で使われていた桧皮葺入りの特別なお守りをいただくことができます。

また、5万円以上の寄付で、先ほどご紹介した今回のために特別に作られた縁起絵巻の複製がいただけるとのこと。実物を見せていただいたのですが、“5万円でこちらをいただけるなんて・・お得!”と思える、高いクオリティの絵巻物でした。境内での拝観に留まらず、長谷寺の歴史を手元に感じる機会として、ぜひ検討してみてはいかがでしょうか。
長谷寺の観音様は、なぜこれほどまでに日本人の心を掴んできたのでしょうか。
「長谷寺のある「初瀬」の地は、仏教が伝わる以前から、人々が特別な場所として認識していたようです」

その証拠として挙げていただいたのが、「万葉集」に収められた歌の数々。長谷の地で詠まれた歌が十数首あるのですが、恋の歌が多い他の歌に比べて、長谷の歌だけは著しく割合が低いとのこと。代わりに詠まれているのは、亡くなった人への思いや、冥界につながるような不思議な場の雰囲気を伝える歌ばかり。
「古代の人たちもこの地を、普通とは違う聖なる場所だと認識していたようです」
こうした場所の空気と相まってか、古くからこの地では巨石そのものを神聖視する「岩倉信仰」も行われていたそう。長谷寺の観音様が蓮台ではなく岩の上に立っているのも、この地に根づいた岩への信仰と深く関わっています。
観音様が安置されると、長谷の地は全国に知られる霊場へと成長していきました。その信仰の広がりは、いくつかの有名な昔話にも痕跡を残しています。

「例えば誰もが知る『わらしべ長者』は、長谷の観音様にお参りした男に起こった出来事を物語にしたものです」
さらには、「鉢かつぎ姫」にも、石川県の金沢という地名の由来にもなった「芋掘り藤五郎」の物語にも、長谷の観音様が登場します。
「長谷の観音様の霊験あらたかの物語が、日本中に広がっていたんです」
かつての長谷寺は清水寺や善光寺と同様に、各地に「長谷寺」「長谷観音」の名を冠した寺院を生み出した、一大信仰だったようです。
ところで、独自の信仰を全国に広げてきた長谷寺でしたが、現在は真言宗豊山派の寺院となっています。一体、いつ変わったのでしょうか。
「転換期は、室町末期から戦国時代のこと。豊臣秀長の招きにより、根来寺から専誉僧正(せんにょそうじょう)という真言宗の高僧が長谷寺に入られました。以来、長谷寺は真言宗豊山派の総本山として歩みはじめます」

それまでの長谷寺は、観音様を中心とした独立の信仰形態を持つ聖地でした。それが専誉僧正の入山によって密教・真言宗の拠点へと生まれ変わり、今日に至っています。
ここで話題は、さらりと名前が登場した「豊臣秀長」に移っていきました。今年の大河ドラマで注目を集めている、「天下人を陰で支えた名参謀」として知られる秀長ですが、この地でも特別な存在として語り継がれているそうです。

秀長が長谷寺に果たした役割は大きく2つ。1つは前述の専誉僧正の招聘。そしてもう1つは、本堂の建て替えでした。
まず秀長は、兄・秀吉による根来寺の焼き討ちで行き場を失っていた専誉僧正を、長谷寺に招き入れました。これが現在の真言宗豊山派総本山としての長谷寺の出発点となっています。
当時、長谷寺には僧侶だけでなく、武士や一般の人々も入り混じって住んでいました。彼らを取りまとめて治安維持を行っていたのが、地侍の流れを汲む「廊坊(ろうのぼう)」という一族。専誉僧正は長谷寺を「僧侶のみの修行の場」に整えようとしていました。これは住民たちとの対立が起きかねない難しい取り組みのはずが・・・、
「秀長の後押しと専誉僧正の徳が、平和的に解決に導きました」
何と、廊坊一族をはじめとした住民たちは秀長と専誉僧正の説得により、あっさりと長谷寺を後にしたそうです。秀長と専誉僧正の人柄や、人々からいかに信頼を受けていたかがわかるエピソードですね。
「専誉僧正入山後に、本堂を建て替えたのも秀長でした」

現在国宝に指定されている、懸造りの本堂。この立て直しにひと肌脱いだのも、秀長だったそうです。その際、大工たちから給料への不満の声が上がると、「不満があれば私に連絡するべし」と秀長が朱印状を送った記録も残っているとか。工事への深い関与ぶりが伝わってきますね。
境内には、奉納品として秀長が寄進した釣灯籠が、現在も残っています。
「長谷寺では、大きく貢献してくれた人のことを『大旦那』と呼びます。そして、秀長は聖武天皇に次ぐ『大旦那』とされており、現在も毎月の命日に『秀長卿忌』という供養が行われるほど、大切にされています」
長谷寺の奥の院には、秀長の供養塔も残されています。参拝の際にはぜひ立ち寄ってみてください。
古来より多くの人々から信仰されてきた、長谷寺という存在。万葉の時代から続く祈りの場所は、想像以上に深く、そして興味深い場所でした。

しかし、そんな歴史や文化だけでなく、「お花がキレイだから」「景色が映えそうだから」そんな理由で訪れても、1300年もの間人々のお願いを聞き続けてくれた観音様は、歓迎してくれるはず。
さらに、開山1300年記念の今年は、今しか見られないもの、体験できないことが目白押しです。大河にも深い関わりがある長谷寺へ、ぜひ足を運んでみてください。
最後に、「巡縁読者さんにおすすめしたい、とっておきのスポットはありますか?」とお伺いしたところ、境内の山中に祀られた「白山権現」のお話を聞かせてくださいました。
長谷寺で毎朝唱えるお経の中に、「白山権現」が登場していました。
「ある時、現在の住職(当時は法務執事)が、そもそも白山権現はどこにあるのか、と疑問に思ったそうです」
境内のどこかにそれを祀った場所があるはずだという話になり、皆で山の中を探し始めたのだそうです。今回お話を伺った瀧口さん、ふと山の斜面にジグザグに登る道のような地形があったことを思い出したのだそう、改めて登ってみたところ、たどり着いた先の土の中から、かつての祠の祭壇跡から現れたそうです。
「なんでここに? という驚きとともに、改めて白山の神様を正式にお迎えしようという話になりまして」
そこで向かったのが、石川・新潟の県境に鎮座する、白山比咩神社。白羽の矢が立った3人のお坊様たちが、禊ぎを受けた上で白山の山頂まで登拝。ご神霊を勧請して、長谷寺まで白山権現をお連れしたそうです。
ところで、白山の神様・菊理媛(くくりひめ)は「縁を結ぶ神様」としても知られているのですが、
「何とその年、勧請に参加した3人が、全員がめでたく結婚しました。私も含めて」
という、すごい展開に!縁結びを願う方は、ぜひ足を運んでいただいたきたいのですが…というところで、後半に続きます。ぜひ、お楽しみに!
【写真のご利用について】
本コラムに掲載している写真は、長谷寺様のご許可をいただいて撮影したもの、または長谷寺様よりご提供いただいたものです。写真や記事内容の無断転載・無断使用はご遠慮ください。
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Dera
「巡縁」では関西方面を担当。寺社仏閣巡りと御朱印集めが趣味。クラフトビールに目がない。