2026.08.22
巡縁ではこれまで長谷寺と壷阪寺をご紹介していますが、この2寺は現在放送されている大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・豊臣秀長ゆかりのスポットです。
そして現在、この2つのお寺と大和郡山市にある「春岳院」を含めた3カ寺で、御朱印イベント「豊臣秀長公 思いを馳せる大和三寺巡り」が開催中されています。
それはぜひ、参拝せねば!と、1日で3つのお寺を回ってみました。今回は、春岳院を中心に、御朱印巡りの様子を詳しくご紹介します。
\ 豊臣秀長公ゆかりの三寺を巡る /
「豊臣秀長公〜思いを馳せる大和三寺巡り〜」開催中!
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送を記念して、奈良県では豊臣秀長公ゆかりの春岳院・長谷寺・壷阪寺を巡る企画が開催されています。
この三寺には、それぞれ秀長公の肖像画や木像が伝わっており、期間中は各寺が所蔵する秀長公の御姿をデザインした特製の切絵朱印も頒布されています。
さらに、三寺すべての切絵朱印を集めると、専用台紙の裏面に「特別満願印」をいただけるというお楽しみも。
秀長公に思いを馳せながら、大和の歴史と寺院をめぐる旅が楽しめます。
そもそも、今回巡った大和の地と、豊臣秀長にはどのような関係があるのでしょうか。
大河ドラマでも取り上げられている通り、秀長は豊臣秀吉の実弟であり、豊臣政権を支えた重要な武将のひとりです。とくに大和国とは深い関わりをもち、大和郡山城を拠点として地域の統治や城下町の整備に力を注ぎました。
天下統一を目指していた秀吉にとって、大和や紀伊、和泉といった地域を安定させることは、その後の西国への進出を考えるうえでも重要でした。
1585年、秀吉は紀州攻めを行い、根来・雑賀などの勢力を制圧。同年、秀長は大和・紀伊・和泉を領し、大和郡山城へ入城します。
秀吉から厚い信頼を寄せられていた秀長は、ここを拠点として大和の統治を進めていきました。
当時の大和には、興福寺をはじめ、長い歴史と大きな影響力をもつ寺社が数多く存在していました。そうした土地を治めるなかで、秀長は検地などを進め、豊臣政権による統治体制を整えていきます。
その一方で、寺社の復興や伝統の維持にも関わりました。薬師寺や唐招提寺をはじめとした寺院の復興を支援したほか、春日大社や興福寺に伝わる祭礼・行事にも関わったとされています。
大和の寺社と秀長との関係は、今回巡る三寺にも残されています。それぞれのお寺でその足跡をたどってみると、秀長と大和とのつながりがより身近に感じられるでしょう。
秀長は、大和郡山の城下町づくりにも力を注ぎました。
商工業を発展させるため、同じ職業の商人を一定の町に集め、営業上の特権を認めるなどの政策を進めます。こうした城下町の整備は、のちに住民たちが町の運営を担う「箱本制度」へとつながっていきました。
箱本の町では、当番となった町が治安維持や消火などを担当し、特許状などを納めた「朱印箱」を引き継いだといいます。商業の発展だけでなく、住民たちが町の秩序や安全を支える仕組みも築かれていきました。
また、大和郡山には秀長とお菓子にまつわる興味深い逸話も残っています。
老舗菓子店・本家菊屋には、秀長が兄・秀吉をもてなす茶会のため、初代・菊屋治兵衛に珍しい菓子をつくるよう命じたという由緒が伝わっています。その菓子を秀吉が気に入り、「鶯餅」と名づけたのだとか。
現在、本家菊屋では「御城之口餅(おしろのくちもち)」として販売され、大和郡山を代表する銘菓のひとつとして親しまれています。
このように秀長は、大和郡山城を拠点に地域の統治や城下町の整備を進めました。そして寺社や町に残された足跡は、400年以上が経った現在も、大和の各地で見ることができます。
さて、今回巡った「豊臣秀長公 思いを馳せる大和三寺巡り」。3つのお寺がそれぞれ離れた場所にあるので「1日で回れるの?」と思った方もいるかもしれません。
結論から言うと、車であれば1日で十分回れます!
おすすめのルートは、
長谷寺(桜井市)→ 壷阪寺(高取町)→ 春岳院(大和郡山市)。
まずは、境内が広く見どころも多い長谷寺を午前中にじっくり参拝。昼前後に壷阪寺へ移動し、最後に大和郡山市の春岳院へ向かうという流れです。
今回訪れた際は、長谷寺から壷阪寺までは車で約30分、壷阪寺から春岳院までは約1時間でした。
春岳院は境内がコンパクトなので、最後に訪れても慌てることなくゆっくり参拝できます。
長谷寺と壷阪寺には駐車場がありますが、春岳院には専用駐車場がありません。今回は、大河ドラマ館がある「やまと郡山城ホール」の駐車場を利用し、そこから歩いて春岳院へ向かいました。
公共交通機関でも三寺を巡ることはできますが、乗り継ぎや運行本数によっては移動に時間がかかります。1日で三寺を巡る場合は、あらかじめ時刻表を確認し、余裕をもったスケジュールを組んでおくのがおすすめです。
おすすめルートの通り、まずは午前中に長谷寺を参拝。
長谷寺は奈良県桜井市にある、真言宗豊山派の総本山。飛鳥時代に建立され、今年はちょうど開山1300年に当たります。「花の御寺」としても知られ、牡丹や桜、紫陽花や紅葉など、四季折々の美しい景色を楽しめるお寺です。

豊臣秀長は、長谷寺の復興に大きく関わった人物でもあります。
天正16年(1588年)には秀長によって本堂が再建され、その功績から長谷寺の「大檀那(おおだんな)」として、現在も境内には秀長の供養塔が残されています。
また、秀長は根来寺から専誉僧正を招き、長谷寺の復興を支えました。専誉僧正はその後、長谷寺を拠点に真言宗の教学を盛んにし、現在の真言宗豊山派へとつながる礎を築いたとされています。
長谷寺の詳細や秀長とのエピソードについては、こちらの記事もぜひご覧ください。
まずは、こちらで台紙と御朱印をGET。
切り絵がとてもステキですね。長谷寺を参拝したら、次の壷阪寺へ向かいます。

総本山 長谷寺
住所:〒633-0112 奈良県桜井市初瀬731-1
公式ホームページはこちら →
次は、飛鳥方面にある壷阪寺へ向かいます。長谷寺から車で30分ほど。飛鳥駅の近くのカフェでお昼を簡単に済ませて、お昼過ぎに到着しました。
今回伺ったのは2月。前日に降った雪が残り、路面が凍結している場所もありました。冬に車で訪れる場合は、天候や道路状況を事前に確認しておくと安心です。
壷阪寺は、奈良県高取町の壷阪山にある真言宗のお寺です。ご本尊は十一面千手観世音菩薩で、古くから眼病封じのお寺として信仰を集めてきました。
近年では、桜に包まれる大仏や、色とりどりの紫陽花などの美しい風景もSNSを中心に注目され、「花のお寺」としても人気を集めています。

兄・豊臣秀吉の命により大和郡山城に入った豊臣秀長は、大和の統治を担うとともに、高取城の大改修を行いました。その際、戦乱によって荒廃していた壷阪寺も復興されたと伝えられています。
壷阪寺には現在も豊臣秀長の尊像が祀られており、その歴史は約400年にわたります。
江戸時代には、高取城の裏鬼門にあたる場所に鬼門除けの因幡堂が建立され、秀長の尊像もそこに祀られました。現在、その場所には因幡堂の部材を使って建てられた灌頂堂があり、秀長の尊像もこちらに安置されています。

なお、壷阪寺の詳細は、ぜひこちらの記事をぜひご覧ください。
▷▷壺阪寺の取材記事はこちら!
こちらでも、切り絵の御朱印を無事にいただきました。いよいよ最後となる、春岳院へ向かいます。

壷阪寺(南法華寺)
住所:〒635-0102 奈良県高市郡高取町壷阪3番地
公式ホームページはこちら →
壷阪寺から車で約1時間。大きな渋滞もなく、15時頃には無事に大和郡山市内に到着しました。
春岳院は、奈良県大和郡山市にある高野山真言宗のお寺。郡山城跡の近くに位置し、豊臣秀長の菩提寺として知られています。
もとは鎌倉時代に創建された「東光寺」というお寺で、のちに秀長の戒名「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」にちなみ、「春岳院」と改められました。
かつては複数のお堂が建ち並んでいましたが、時代とともにその規模は縮小。現在は住宅街の中に佇む、静かなお寺となっています。
郡山城跡近くにある春岳院は、近鉄郡山駅やJR郡山駅から徒歩で訪れることができます。住宅街の中にあるため、初めて訪れる場合は事前に地図で場所を確認しておくと安心です。
車の場合、大阪・名古屋方面からは西名阪自動車道「郡山IC」または「大和まほろばスマートIC」から、京都方面からは京奈和自動車道・国道24号を利用できます。
なお、春岳院には専用駐車場がありません。
今回は、大河ドラマ館がある「やまと郡山城ホール」の駐車場を利用しました。こちらから春岳院までは約300m、徒歩5分ほどです。

春岳院
住所:〒639-1157 奈良県大和郡山市新中町2
実は、春岳院はもともと秀長の菩提寺だったわけではありません。
秀長が亡くなった後、その菩提を弔うために「大光院」が建立されました。その後、大光院が京都・大徳寺山内へ移された際、秀長の位牌は晩年を過ごした大和郡山城下の東光寺に託されたと伝えられています。
東光寺は秀長の菩提寺となり、秀長の戒名にちなみ「春岳院」と改められました。
こうして現在まで、春岳院では大和郡山と深い関わりをもった豊臣秀長の菩提が弔われています。
住宅の間に走る細い路地を抜けた先、本当に「町のお寺」という雰囲気の春岳院に到着しました。他の2つのお寺に比べると確かに小さいですが、凛とした空気の漂う、とても雰囲気の良いお寺です。
山門を抜けた先にあるのは、真新しい本堂。実はこちらのお寺、昨年現在の住職が継がれた際は、本堂や庫裡の傷みがひどく、公開できない状態だったそうです。そこでクラウドファンディングを立ち上げ、大河ドラマの放送にあわせて本堂を建て替えられました。
授与所を兼ねた入口で参拝料を納め、最後の切り絵の御朱印をいただき、これでコンプリート!1日での三寺巡りでしたが、それぞれのお寺で秀長とのつながりに触れることができ、濃密な参拝となりました。

本堂の中に入ると、ボランティアガイドの方が境内や秀長ゆかりの寺宝について解説してくださいました。
私が訪れたときはほかに参拝者がおらず、お二人のガイドさんからじっくりとお話を伺うことができました。これはなかなか贅沢な時間です。
仏様に手を合わせたあとは、お寺に伝わる貴重な品々を見せていただきます。
まず目を引いたのが、秀長の城下町政策を起源とする「箱本制度」に関する古文書などを納めた「御朱印箱」。あまりにきれいなのでレプリカかと思いましたが、ガイドさんによると、実際に使われていたものなのだそうです。
そして、豊臣秀長の姿を描いた「絹本著色豊臣秀長画像」も拝見しました。本や資料などで目にすることも多い、秀長を代表する肖像画です。
ガイドさんのお話によると、よく見ると描かれている畳の縁にも柳沢家との関わりが見られるのだとか。細かな部分に注目してみると、新たな発見があって興味深いですね。
本堂内は撮影禁止のため、残念ながら写真でお見せすることはできません。ぜひ実際に春岳院を訪れ、ガイドさんの解説とともにじっくりご覧になってみてください。
春岳院の参拝を終えたあとは、秀長ゆかりのお菓子を求めて、老舗菓子店「本家菊屋」さんに立ち寄りました。
こちらでいただけるのが、「御城之口餅(おしろのくちもち)」です。
本家菊屋には、秀長が兄・秀吉をもてなす茶会のため、初代・菊屋治兵衛に珍しい菓子をつくるよう命じたという由緒が伝わっています。できあがった菓子を秀吉が気に入り、「鶯餅」と名づけたのだとか。それが現在の「御城之口餅」へとつながっています。
大河ドラマを記念したステキなパッケージも魅力的でした。三寺巡りの締めくくりに、秀長ゆかりのお土産として手に取ってみてはいかがでしょうか。
本家菊屋さんについては、旅と食ライター・長月稲さんが詳しく取材されています。こちらの記事もぜひご覧ください。

三寺を巡ってあらためて感じたのは、豊臣秀長と大和の地との深いつながりです。
「秀吉の弟」として知られる秀長ですが、大和を治め、城下町の整備を進めるとともに、寺院の復興にも関わりました。その足跡が、400年以上の時を経た今も、寺宝や建物、伝承などを通して大切に受け継がれています。
そんな秀長の足跡を、三寺を巡り、御朱印を集めながらたどってみる今回の旅。
大河ドラマをきっかけに豊臣秀長に興味をもった方はもちろん、「秀長って、秀吉の弟だよね?」という方にも、大和と秀長の関係を知るきっかけになるのではないでしょうか。
ドラマとあわせて実際にゆかりの地を訪ねれば、豊臣秀長という人物が、より身近に感じられるかもしれません。


Dera
「巡縁」では関西方面を担当。寺社仏閣巡りと御朱印集めが趣味。クラフトビールに目がない。