たくさんのお稲荷さまが有名! 豊川閣妙厳寺の仏舎利供養に行ってみた!②

2025.03.31
「豊川稲荷本山仏舎利供養 東京別院参拝団」に参加した筆者、
(前回のコラムはこちら!ぜひご覧ください!)
今回は、豊川稲荷本山 豊川閣妙厳寺の見どころについてレポートします!
豊川稲荷本山の見どころ
自由時間に「本山の見どころ」を駆け巡りました。ここからは本山の見どころを順不同でご案内いたします!
本殿
本殿の魅力は言い尽くし難いものがありました。
大きな鳥居から続く広い石畳の参道、そして大きな灯篭!
東京別院と同じように木は黒く、木目の見える側が白く塗られています。
黒と白、そして提灯や垂れ幕の紫、絨毯の赤とエキゾチックな彩りです。中では法要を行うお坊さん方が黄色い経本をパタパタと中に浮かせています。
東京別院にはない大きな提灯がとくに目を惹きます。これは大提灯と呼ばれ豊川稲荷を代表する風物詩なのだそう。東京別院でも赤提灯が目を惹きましたが、ここは・・・大きい!
こちらも東京別院と同様、本殿にもJ-coinPayが使えます。使用料無料なのでぜひまだの方はインストールと設定をおすすめします!
参拝団は本殿の内側にも入らせていただくことができ、お坊さま方が読経をされているさらに奥へぐるぐると参拝して回ることができました。引き返しはできないので、ご注意、前の方に続いて行きます。そして、すごく暗い、なんだかとても暗い!神秘的です。
足の悪いお年の方は豊川の方に手を引いてもらいつつゆっくり進んで行かれます。ここにも賽銭箱が複数ありましたが、今回はちゃんとお賽銭を用意して少しずつ挨拶してまいりました。
奥の院
奥の院は、法堂から趣深い景雲門をくぐり、左手奥にありました。
奥の院では担当のおじいさんに教えていただきながら正しくご真言をお唱えし、お財布や、カバンやスマートフォンに「切り火」をしていただくことができました!
ついつい見がちなSNS、これでいい情報しか入ってこなくなるかな!?
奥の院の印象は「とんでもなく温かい場所」でした。担当のおじいさんの笑顔と温かな案内で、短くも心温まる一時を過ごせました。
本殿や東京別院にいらっしゃる「吒枳尼真天」さまの本当のご自宅、居間にでも招かれたようなそんな思いになりました。気取らないとっても優しい空気を感じました。
霊狐塚
霊狐塚は豐川稲荷に御礼の意味を込めて奉納されたお狐様が集まる場所なのだそうです。
ものすごくたくさんいらっしゃいました、そしてお顔や尻尾のデザインが色々!
宝珠のような尻尾の狐さんや、笑っている狐さん、怒ってる?ような狐さんにイケメン狐さん!1人1人お顔が違い、
じっくりとご挨拶していくと、自分と気が合うお狐さまに出会えるようなそんな気がしました。
そして、大きな声を絶対出しては行けない、そんな気持ちになるおごそかな場所でした。
自分のお狐さまのお祀りご希望の方は千本幟の受付でご相談を受付ているそうです。
「平八郎稲荷」
ちなみに「豊川稲荷本山」には「平八郎稲荷」という伝説があるそう。
東海義易禅師が開山の時、平八郎と呼ばれるおじいさんが現れとても東海義易禅師を助けたのだそう。そして、何百人のご接待でも、動じずに一つの窯でお茶もご飯も炊いてしまいます。不思議に思って尋ねると、平八郎は「私には301の眷属がいるのでどんなこともできるのです」と答えたのだとか。この「平八郎の窯」は本殿の奥にお祀りされています。
きっと、霊狐のお狐さまたちは、平八郎稲荷さんのご眷属・・・なんでしょうね!
こそっと裏話
こちらの霊狐塚に千本鳥居が立つとか立たないとか・・・!!
出来上がったらフォトジェニックで魅力的な場所が豊川稲荷にまた一つ増えますね!
鳥居は奉納できるそう、情報公開が待ち遠しいですね。公式HPをぜひチェックしてください!
他にもあるある見どころいっぱい
まだまだご紹介したりない「豊川閣」の魅力はたくさん!
千本幟
景雲門でてすぐ右手には千本幟の受付があります。千本幟は、1つ挙げるだけで1000日、本山をお参りしたと同じお力がいただけるという、なんともありがたいご奉納です。また、幟の記念にとハンカチサイズの可愛らしい手拭いがもらえましたよ!吸水性がいいので、ハンカチ使いにも、布巾使いにもおすすめです!
狐みくじ
本山の狐みくじさんは、白と黒、ピンク、黄色、あおから選べます!東京別院にはない彩りなので、なんだか目新しい!と、友人のテンションが上がっています。いくつも揃えたくなっちゃいますね!
山門
豊川閣への入り口である総門を潜ると見えてくるのは「山門」です。こぢんまりとしていますが、なんとも風情があるとなぁと激写していたら、それもそのはず、最も古い建築物で、今川義元公が寄進されたものなのだそうです。
美味しいお食事諸々
参拝団中のお食事は全て「精進料理」!お揚げを使ったお椀が主菜としてお肉がわりに。お出汁の味がしっかり効いて、油もほどよく、食べ応えがあり満腹になりました!また、お茶菓子としてでた「ゆたかおこし」が絶品でした。
きなこの味がきいたこのお茶菓子、昭和天皇の御即位の際に、豊川銘菓として献上されたのだそう。口の中でとけていく食感と、ほどよい甘味がバス移動で疲れた体にピッタリでした!
絶対に伝えたいこと
最後に、今回のツアーで最も印象に残ったことをお伝えします。
それは「豊川海軍工廠戦没者供養塔」での読経です。
「豊川海軍工廠戦没者供養塔」
「豊川海軍工廠戦没者供養塔」は境内外にありました。
毎年「仏舎利供養団」に同行され、そして、昨年、天に旅立たれたAさん。Aさんはもともと豊川ご出身の方で、ご信仰が厚く、東京に移られてからも東京別院を熱心に参拝されていたのだそう。
豊川海軍工廠、太平洋戦争中の日本海軍の軍需工場です。そのためたびたび米軍の標的となり、そして、1945年8月7日、米軍のB29爆撃機などによる空襲を受け2,500人以上が犠牲となりました。
豊川海軍工廠の空襲・生存者Aさん
Aさんはその生存者の一人です。
Aさんは当時13歳と幼い子供でしたが、すでに1つの工場の管理を任される責任者だったそう。内地にはもう大人がいなかったそうです。
空襲のたびに、耳と目と鼻を同時に隠しながら地に張り付き、豊川稲荷まで辿り着く、そうして、「今日も生きていた」、「運が良かった」と安堵する日々を過ごしていたそうです。
1945年8月7日、広島に原子爆弾が投下された日と同じ日におきた大空襲、Aさんは豊川稲荷に向かって地をはいながら逃げてからくも難を逃れられました。しかし、多くの同級生は戦火の中に焼かれてしまったのだそうです。
供養塔にはAさんの多くの知人、友人、同級生の名前が書かれており、東京別院の知客さん(曹洞宗のお客さん対応お坊さま)と一緒に、いつもお経をあげ、そして思い出話をしていたのだそう。
受け継がれる祈り
今回、知客さんが「福生さん、せっかくだからこのことも知っておきなさい」と亡くなられたAさんの代わりにとお経をあげに行かれる知客さんにご一緒させていただきました。
当時のAさんの年齢13歳とは、ちょうど息子と同じ年齢です、込み上げるものがありました。
そこに、お寺があり続けること、それは誰かの思いを受けて祈りが受け継がれていること。
お寺がそこにあり続けて欲しいと願い、そしてたくさんの人がその存在に助けられてきた証でもあるのではないでしょうか。
そして、今を生きる私たちはその思いを、心の拠り所を、未来に向けて受け継いでいく必要がある、そんな思いを持った冬の夕べでした。
一説には、豊川稲荷に逃げ込んだ方の多くが助かったと言われているそうです。
まとめ
本山参拝に仏舎利供養と2回に渡ってお届けしました。
豊川本山では、その土地で受け継がれる思いや、「吒枳尼真天」さまの本当のお姿に触れられたような気がしました。ぜひ今年は、豊川稲荷to豊川稲荷!「吒枳尼真天」さまのご利益を満点に感じちゃってくださいね!
※昨年は広く公募された「仏舎利供養団」ですが、今年の開催規模は現時点未定です。
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