話題沸騰!宇治の名所再発見!? 異国情緒漂う国宝・萬福寺へようこそ!

話題沸騰!宇治の名所再発見!? 異国情緒漂う国宝・萬福寺へようこそ!

2024.10.23

京都、宇治といえば、みなさん何を思い浮かべるでしょうか?

食べるのが大好きな私はまず「宇治抹茶」が思い浮かびます。まさに和の象徴!秋深まるこの時期、新緑に輝く数々のスイーツに思わず手が伸びてしまいます。

 

そのほかにも、10円玉に描かれていることで有名な「平等院鳳凰堂」があったり、

世界最古の長編恋愛小説「源氏物語」の主人公、光源氏の没後を描いた、いわば大人気小説のスピンオフとも言える「宇治十帖」の舞台はこの京都宇治。なんとなく、多くの人に平安王朝絵巻風の日本をイメージさせる地名ではないでしょうか。

 

そんな宇治にちょっと毛色の変わった、巡縁読者のみなさんにおすすめしたいとっておきの場所があります。

それは「黄檗山萬福寺」です。

2024年10月、京都宇治にある萬福寺の主要3建造物、法堂、大雄宝殿、天王殿が国宝に指定されました。

今回は「黄檗山萬福寺」ってどんなお寺なの?というエピソードをご紹介しつつ、行って楽しい巡縁のおすすめポイントを紹介します。

 

「黄檗山萬福寺」って?

「黄檗山萬福寺」

初めて筆者が拝見した時、なんとなく読みづらく、そして身近ではない漢字が並んでいるように感じてしまったのですが、みなさんはすんなりお読みいただけたでしょうか?

これは「おうばくさんまんぷくじ」と読みます。

特に「黄檗山」のあたりが読みにくいと感じる方が多いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

それもそのはず、「黄檗山萬福寺」は中国から丸ごとお寺が移動してきた!とも言える場所なんです。だから、山号も日本に馴染みのないような印象を受けてしまうかも、しれません。

 

ご由緒・隠元和尚がやってきた!

「黄檗山萬福寺」が日本にやってきたのは江戸時代4代将軍家綱の時代。

 

厳しく大名を取り締まる「武断政治」から、文化を持って国を収めようとする「文治政治」に方針が切り替わっていったころでした。

 

当時の日本には、鎌倉時代に開かれた「臨済宗」・「曹洞宗」という2大禅宗がありました。

禅宗は鎌倉以来の戦乱の世を生き抜く武士の気風にマッチしていたのですが、江戸という太平の時代、徐々に衰退の傾向にあったようです。

一方、あの「だるまさん」が開祖である中国の禅宗も、明から清に王朝が変わる混乱の中、衰退していました。

 

萬福寺をこの地に開いた「隠元隆琦禅師」(いんげんりゅうきぜんじ)は、そんな時代に日本にやってこられました。

中国のお寺がそのまま日本にやってきた!?

弟子20名を連れ、日本に禅宗をさらに広めるため様々な文化と共に日本に渡来。

先ほどご紹介したように、それはまるで中国福清省にあった「黄檗宗萬福寺」が、そのまま日本にやってきたかのようであったと伝え聞きます。

 

その証拠の一つは、今年10月に国宝に指定された、萬福寺の玄関である天王殿に祀られている四天王像。

仏像様式からして300年以上経ってる中国由来のものではと言われています!

 

中国の黄檗山萬福寺は、現在は、古い黄檗、古黄檗と呼ばれています。

 

隠元隆琦禅師は、古黄檗のリーダーである住持(じゅうじ・住職)でした。飛行機もない時代にはるばる海を超えて、日本にいらした事実にとても心熱いロマンを感じます。

ところで、Googleマップで調べたのですが、中国福清省は台湾の海を隔てた向かいにある福建省の真ん中あたり。現在でも日本企業が多く進出するなど、日本とは縁の深い土地のようです。

「黄檗宗」の連れてきた文化

先ほどご紹介した「隠元隆琦禅師」のお名前で何か思い出したものはありませんか?

 

そう、インゲン豆!

 

隠元和尚は、日本にインゲン豆を伝えた方としても有名ですね。

 

ちなみにインゲン豆の原産地はアメリカ大陸。

コロンブスがヨーロッパに持ち帰り、その後シルクロードを渡って中国に伝わり、日本にやってきたのだそう!そう思うと、普段何気なく口にしてきたインゲン豆が、さらに味わい深いものに感じられそうですね。

 

隠元和尚はその後、日本文化として深く馴染んでいる様々なものを日本に持ち込んでくださいました。例えば、夏に美味しいスイカ、春の味覚「タケノコ」さらには食卓の味方「もやし」です。

他にも、仕事にも勉強にも欠かせない「テーブル・椅子」、文章を読む時に目にしないことがない「明朝体」の文字、これらも隠元和尚が日本に持ち込んだものなのだそうです。

 

日本文化のお茶の間ど真ん中!煎茶

そして極め付けはこちら!煎茶です。

煎茶、よめましたか?私はすぐにネットで検索してしまったのですが、こちらは「せんちゃ」と読み、いわゆる「お茶っぱで入れるお茶」のことです。まさに日本文化のお茶の間ど真ん中!というかんじがしませんか?

日本におけるお茶の渡来史

お茶はどうやら、隠元和尚以前にも何度も日本に持ち込まれています。

当初は平安初期、当時は団茶(だんちゃ)と呼ばれる固形にした茶葉を火で炙り直接湯に入れる方法で楽しまれていたようです。

次に鎌倉時代に臨済宗の開祖である栄西が茶葉を日本に持ち帰り広めます。これが宇治抹茶の起源となりました。

飲み方は碾茶(てんちゃ)や挽茶(ひきちゃ)と呼ばれる、現在の抹茶のようなものであったそうです。いずれも健康食、健康飲料のように嗜まれていました。

 

日本に煎茶を広めたお爺さん「売茶翁」(ばいさおう)

そして、隠元和尚が持ち込んだ「煎茶」。

当時は「唐茶」(とうちゃ)と呼ばれ、煎茶の前進となる飲み方で、これまで持ち込まれたお茶同様に薬のように嗜まれました。

当時、高価であった煎茶ですが、1735年、隠元隆琦住職のおおよそ死後60年後、黄檗宗の僧侶・月海元昭(げっかいげんしょう)が煎茶を禅を説きながら売ったことから文化人を中心に浸透しました。これをきっかけに、長い時間をかけながら日本文化として定着してゆきます。

月海元昭は自らを「売茶翁」(ばいさおう)、「お茶を売るおじいさん」と、なんとも愛嬌のある名をなのっていたそうです。現在でも「煎茶道の祖」と呼ばれ、多くの人から愛されています。

 

煎茶と普茶料理

黄檗宗では大きな法要は必ず煎茶の茶礼(されい)で始まり、茶礼で終わるそうです。それほどまでに黄檗宗ではなくてはならないものなんですね。

そして、法要が終わった後に煎茶を出すだけでは物足りないのではないかと始まったのが「普茶料理」。よめましたか?ふちゃりょうりと読むそうです。

みんなで食べたい普茶料理

これは、“全ての人と茶と一緒にいただく料理”という意味だそう。つまり、「食の前ではみな平等、身分の隔てなく、みんなでいただく」という、黄檗宗の教えが息づいています。

 

1度に四人分のお料理を大皿でお出しすることが基本なのだそうです。

豆腐やごま油をしっかり使った食べ応えのあるお味に仕上がっており、一般的な日本の精進料理とは一味違った味わいに驚く人が多いそうですよ。

 

普茶料理の特徴

同じ食卓についた人同士が話が盛り上がるようにと作られた「もどきりょうり」は必見!

わらび粉を上手に使って豚肉を表現したり、豆腐を使って「うなぎの蒲焼」を作ってみたり、現代の豊富な食文化に慣れた私たちでも驚き、楽しいラインナップですよね!

そんなおもてなしの心で溢れる普茶料理は、萬福寺でいただくことができます。

ご予約が必要なので、HPからぜひお問い合わせしてみてくださいね。

見どころいっぱい萬福寺

そんな文化や歴史がいっぱいの萬福寺、筆者のおすすめポイントを3つご紹介します!

 

月夜の煎茶会

毎年10月の中秋の名月のころ「月夜煎茶会」という、月光に照らされた萬福寺を楽しめる大規模なイベントが催されます。

この茶会には、毎年約1000名もの参加者が集います。萬福寺の境内全体に茶席が設けられ、華やかで贅沢な煎茶文化を楽しむことができますよ。

参加はチケット制で当日券もあるそう、ただし前売り券には、入山料500円が込みになっているので当日券よりお得です!

ぜひ来年は前売り券をゲットして訪れてみるのはいかがでしょうか。

 

黄檗ランタンフェスティバル

毎年秋から冬ごろにかけておこなわれるランタンフェスティバル。

日中友好交流を目的としたお祭りで、日本文化と中国文化の様々な催し物が行われます。

コロナでの中断等を経ながらも継続してきましたが、今年は残念ながらまだ開催のお知らせがないようです。再開が待ち遠しいですね!

唐音のお念仏「梵唄」(ぼんばい)

萬福寺は、隠元住職が当時の中国から持ち込んだ作法をそのまま継承しています。

特にお念仏は中国語を基本とした読みと、鳴り物が多いことが特徴的、「梵唄」(ぼんばい)と呼ばれています。

なんと、平成に入り、古黄檗に黄檗宗青年団が参拝した際、この「梵唄」で現地の中国僧の方々と同じようにお念仏を上げるお勤めができたそうです。

https://www.oubaku.org/kyu/20.html

参拝者の口コミでは「もはや音楽」との言われる黄檗宗だけのお念仏、立って唱えるのも特徴的。ぜひ歴史の味わい深いこのお念仏を聞きにきてくださいね。

 

黄檗山萬福寺を楽しく身近に感じられる「準公式X」

木魚の原型である、開梆(かいぱん)や、お腹を開いてどのような人にも仏が宿っていることを表現した羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)像、本当に見どころいっぱいの萬福寺、まだまだ!ご紹介がたりないくらいです。

こんなに素敵な萬福寺ですが、なんとこれまであまり多くの観光者が訪れなかったのだそう。

王朝絵巻のイメージを持って宇治に訪れる人々にあまりフィットしなかったのかもしれませんね。しかし、その分「萬福寺LOVE」のコアファンも多いようです。

 

そのきっかけの一つは萬福寺のXアカウント。【準公式】国宝 黄檗山萬福寺𝕏まんぷくじ@manpukuji_X

少し自虐的に「いつも空いている」とのツイートが密かな人気を呼び多くのフォロワーを集めています。黄檗山萬福寺を楽しく身近に感じられるアカウントですよ!

 

人気が爆発する前に!

この10月にはXで「萬福寺」がトレンド入りするなど、これから「宇治」といえば「国宝萬福寺」で「普茶料理」の流行が来るかもしれませんね!人気が爆発する前に、まだ静かな境内であなただけの萬福寺を楽しんでみませんか?

 

筆者紹介 

【運営】

巡縁の運営。2024年の1月までは、お寺神社に全くの素人だった。

巡縁に関わるようになり、運気が上がったことを実感をしている人。

趣味は空手と日本舞踊、大人になってから始めた。

自他ともに認める雨女。

 

 

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